見出し画像

身体からのメッセージ~皮膚病から~

昨日、コーチングセッションを受けました。
そのセッション中はまだはっきりと感じられなかったのですが
今日気づきがあったので、これは残しておきたいと考え自分の為にも書きます。

********************
私は何年か前に蕁麻疹が出るようになり
それが全身に広がるようになり
蕁麻疹なのに何日も蕁麻疹が消えなくなり(普通短時間で蕁麻疹は消える)

蕁麻疹が熱を持つようになり
蕁麻疹というより細かいぶつぶつ湿疹に変化し
それが貨幣状になり全身くまなく猛烈な搔痒感を伴い
皮膚がやけど跡のように赤くなり

皮膚科に行っても治らず
漢方薬局に1か月前から通うようになって
いま、劇的に回復しているところです
********************

そんな中、昨日「自分の外見についての意識の持ち方について」テーマにさせていただきセッションを受けました。

コーチは「なんでそこが気になるの?」「なんでそう思うの?」とぐいぐい私の深堀りを進めてくれました。

自信がない、というところにたどり着くのですが
その後も深堀は進みました。

そして、「肌が悪くなったのには何の意味があると思う?」
という質問に
私は、「私もそれが知りたい」と答えたものの
セッション中にはどうしてもそれがなんなのかわかりませんでした。

セッションを終えた後、コーチは自分の考えを教えてくれました。
それに関して、嬉しく思うものの「そうであったらいい」という私の言葉に、願いじゃないよ、と言葉もかけてくれました。

**********************
コーチングに関わってきて、私は自分の内面と外面がつながっているのにつながって感じられないことが
自分の内面をおろそかにしてしまう要因の一つだと感じています。

例としてひとつ
「世界を回る先生」がお話していた『自分を責めてはいけない理由』
※私の解釈も少し加わっているかもしれません

走っていて、転んでけがをしてしまった時どうしますか?
「ああ、ここに石があったんだな」とか
「靴のサイズがあってないのかな」とか
「スピード出しすぎてたな(足がからんだ)」とか考えますね
捻挫や骨折、そんな怪我をしてしまったら
病院に行って治療を受けて、安静にしたり養生しますよね

でも、自分が失敗した時自分を責める行為と言うのは
走って転んだ、その足をタコ殴りしているのと同じこと。
そんなこと、しないですよね?
骨折している足を、この足がいけないんだ、と殴りますか?
でも責めるというのはそういうこと、とのこと。

今度から石に気を付けよう
靴をちゃんと選ぼう
急いでいても、転ぶほど走らないようにしよう
血が出ていたら治療しよう

見えている足(外側)に関してはちゃんとケアできるのに
内側に関してはどう?

そんな説明を聞いて、納得したのです
******************

そして、内側に起こっている危険を感じて
外側が現象を起こす
そんな話も聞いていて、私たちの目に見える世界は
何かメッセージを伴っているということも感じていました

ですから、今の自分の肌の状態に関しても
なんのメッセージなのか、考えてはいたのです

でもそこに見えるのは
どうしてわたしばっかり
罪なのか
もう消えてしまいたい
そして、この症状が出た原因を自分なりに思い当たることがあり、それに対する怒りを感じていました。

でも、コーチは全く違う見え方を教えてくれたのです
「いままで愛をたくさんあげていたパワフルなあなただから、いま受け取っていいよというメッセージなんじゃない? 弱い部分が出て、みんながあなたを心配してくれることを感じてるんでしょう? 愛を受け取る側になっていいよ、ということなんじゃない?」と。

そうだったらいいな、とは思いましたが
それにしてはこの地獄の日々(かゆくて熱くてつらい)はなんなんだろう
とも思っていました
そして気づいたことがあります。

私はすごく健康だったんです
風邪も3年に1回くらいしかひかないし
自分ではストレスも感じない、寝れば治るあっけらかんとした性格

それは確かに、環境的に「ひとりぼっち」だった時なんです
家庭環境からも、家族に頼ることはできない
社会環境からも自分が稼いでいかないと倒れたら人生終わる

でも、コーチングに出会って、娘が自立して、夫という支えがいて
NRというコミュニティでかけがえのない仲間を得て
いま、私は倒れてもいいという環境が確かに整っていたんです

そして、以前今のメンターから言われた言葉
「あなたは行動しすぎだ。みんな心配になるくらい。休むことが必要だ」
その時もピンと来ていなかったけど

これほどの肌になってやっと私はちゃんと睡眠をとらないと、とか
自分の身体は(老化もあり)労わる必要もある

そして、漢方の先生からかけてもらった言葉で号泣したり
どんなに自分の気持ちをわかってくれる人がいることが心強いのか
知ったのでした

「ちゃんと愛があるよ」
それを知るために
私は痛みを伴う必要があった(そうまでしないと気づけない業があった)
ということに気づいたのです
※骨折していても、立ち止まっても病院もなにもないと感じて走り続けていたようなもの? いま、病院があることを感じて(←気づいてはいない)車にはねられて入院した感じかな・・・

ありがとうございます
みんな、ありがとう
そして、この肌にも
そうか、この肌になっただろう大きなストレスを与えてくれたあの出来事も
私はいま、赦すことができる

自分がそれを必要としたということがわかる

そんな気付きを得ました

私もこんな気づきを与えられるセッションをしたい
コーチに感謝

以上です。長文お読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?