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「コロナに負けるな」に感じる違和感の正体

コロナ感染拡大が盛んに報じられていた7月末。通りかかった路地裏で、あるプロレス団体のポスターのコピーがぼくの目を引いた。

「プロレスはコロナに負けない!」

どの業界も大変なんだなー、何となくそう思いながら歩き続けたのだが、どうもあの元気で前向きなコピー—プロレスはコロナに負けない!—が頭を離れない。

なんでだろう。特別インパクトがあったわけでもないのに。

あんなフレージングは(と言ってしまうと申し訳ないが)、最近あちこちで見聞きする。ぼくは、あのコピーの何に引っかかったのだろうか。プロレス界にどうこういうつもりは毛頭ないのだ。

そこで少し考えてみた。偏屈と言われればそれまでだが、ぼくには大切な気付きだった。

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「前向きで素敵な言葉」は、弱者の声をかき消す

そもそも、この違和感は以前もどこかで感じたことがある。そう気が付いて、記憶を遡るとすぐに思い出した。

「絆」だ。東日本大震災から、特にメディアで頻繁に使われるようになった、素敵で前向きな言葉。手を取り合って困難を振り払い、何度でも立ち上がる日本人の強さを象徴する言葉。

すべてを失っても、また乗り越えられる。どんなに理不尽な境遇にも、忍耐を持って立ち向かい、一緒に頑張り抜くことができる。

そう、「絆」があれば——。


この素敵で前向きな言葉に背中を押され、励まされた人も多いだろう。でも、ぼくにはいまいちしっくりこなかった。

なぜか。

それは(ぼくの体験上の話をするが)こころの弱っている人にとどめを刺すのが、「前向きで素敵な響きを持った言葉たち」だからだ。強い人の多くは、このことを知らないが、「がんばれ」「負けない」「絆」に代表される、前向きな言葉たちは、弱りきった社会的マイノリティに対して、恐ろしいほどの凶器になりえる。

鬱の人が明るくなる時

鬱で自死を選ぶ人が、死の直前、明るく振る舞う傾向があることを知っているだろうか。

それを見た周囲の人たちは、症状が改善しているように感じる。だが実際には、全く逆のことが、彼らのこころで起こっていることに気付いていない。

鬱に苦しむ人が「つらい」「死にたい」と口にする時、周囲の人たちは、前向きで素敵な言葉で励ましてきた。現在の可能性や、将来の希望に目を向けるように勧めてた。だから今、その人が明るく振る舞うのを見て、自分の言葉がやっと届いた、そう感じて安心するのだろう。

しかし、それは彼らが鬱を克服し前向きになったからではない。むしろ、自分の苦しみが理解されないことを知り、諦めてしまっているのだ。吹っ切れたように明るくなった時には、すでに死を決意している人も少なくない。

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前向きな言葉が前向きな結果を生むとは限らない。特にこのようなケースでにおいて、前向きさは、おうおうにして毒になる。

鬱が原因で「死にたい」と訴えた人がいたとする。多くの人は、その人を想うからこそ、「そんなことはいっちゃいけない、一緒に頑張ろう」と前向きな声かけをするが、その前向きさが、どれだけその人のこころを踏みにじっているかに気が付かけない。

「頑張ろう」と言われれば、「頑張れない自分はダメなのか」と思い。「絆で乗り越えよう」と言われれば、「絆に応えられない自分は周りに迷惑をかけている」と思ってしまう。前向きな言葉で励まされるほどに、前を向けない自分を否定されていると思いこむのが、鬱という病気の恐ろしい点だ。

そしてついには、自分の苦しいこころの内をさらけ出すことさえ怖くなり、誰にも理解されないという思い込みの中で、極端な選択に走ってしまう。

彼らの声をかき消し、封じるのは、心からの善意が生んだ「前向きで素敵な言葉」なのだ。

同調圧力は、本当の必要をうやむやにする

鬱というこころの病以外にも、同じことが言えるのではないか。

先に触れたプロレスだけではない。今、至るところで「コロナに負けるな」的な言葉を散見する。その前向きさ自体を否定するわけではないが、ぼくたちに必要な事柄はもっと別にあって、それが安易な前向きさによってうやむやになっている気がしてならない。

「コロナには勝てない」

——そもそも論だが、ぼくはそう思っている。

何をして勝ちというのかがまずもって不明瞭だが、健康にしろ、経済にしろ、どう見ても人類は負けている—少なくとも劣勢である。「負けない!」と叫んでいれば負けないのなら、こんなに簡単な話はないのだ。

家族を失った人、仕事がなくなった人。コロナが生み出したこの状況に、一時的であれ、負けて苦しんでいる人がたくさんいるのは紛れなもない事実だろう。

彼らに「負けない!」「頑張ろう!」という言葉が何をしてくれるのか。それは単なる綺麗事。みんな大変なのに頑張っているんだから、いつまでも落ち込んでないで、あなたたちもそうしなさい——という同調圧力にすら聞こえる。そして、同調圧力が弱者やマイノリティの声を奪うことを、ぼくたちは知っている。


ぼくたちは案外、——簡単に負ける。

前向きな言葉を大声で叫ぶよりも、そんな前提に立ったほうが、人は前を向ける気がする。負けを認めて分かち合い、本当の必要を探って向き合う。そんな進みかたもあるのではないだろうか。





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