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努力することについて

あなたは縄跳びをしたりボールを投げたり取ったりする練習をしていて、うまくいかないと「もう、やめる」と言うことがある。
うまくできないから恥ずかしくて嫌になる気持ちはとてもよくわかるよ。ぼくもプライドが高くて失敗を人に知られるのが嫌だったから。

けどそこを少しだけ踏ん張っていままでの自分よりうまくなると、能力の上限を越えてみると、ひらけてくる景色があるんだ。
焦らなくていい。じわじわと取り組めばいい。

血の滲むようなものじゃなくてもいい。
ただ毎日、こつこつと繰り返し何度も何度も取り組んでいくことが努力だと思う。

ぼくの小さい頃を思い出すと、だらだらテレビとか見ていたときもあった。
いま思えば、あのときはなにをしてたんだろう?
もちろん、それで得た情報もなくはない。けどそうやって、日々社会に呑み込まれて生活することですり減ってしまって、帰ってきたらのんびりしたい気持ちになることは往々にしてある。
だけどきっとね、努力と言われるものは日々の習慣なんだよ。

コツコツと努力していないと、のんべんだらりとすごしていると、チャンスが来てもつかめないんじゃないかな。
というかチャンスが来てもそれとは気づけない。チャンスという存在を感知できるだけの準備が、あなたのなかにはない。

有名なスポーツ選手とか、起業して成功を続けられる人って、きっとずっとなにかを努力し続けてきている人たちなんだよ。

たまにあらかじめ備わった能力とか資産、運などがあってそこまでいく人たちもいる。けど、そんな人たちは努力でなにかを成し遂げてきた人たちと比べて充実した人生を送ることができていないように見受けられる。
話す内容が、お金や経済のことばかりで、退屈で思慮に欠けることが多い。

努力を続けている人、しかも苦しみながら努力しているのではなく呼吸をするように自然になにかに没頭して努力できる人は、常にいきいきとしているよ。

あなたもどこかで一度がんばりの針が振り切れるような体験をすると、実感が湧くかも。
だから若いうちに自分を追い込む経験をしてみてください。

もしこれを読んでいるあなたが「もう遅い。いまさら新しくできることなんてない」と思ったとしたら、それは間違いだ。もしかしたら、あなたがそう思いたいだけなのかもしれない。
だからこそ、「いや、まだまだやれることはある」と思っていまできることに取りかかるべきだ。

だって、なにかをはじめるのときに言われる「早い」とか「遅い」という定型句は相対的なものでしかないから。
はじめるかどうかはあなたが自分で決めるしかない。

周りから揶揄されるようなことでもない。もしあなたの努力を嘲笑う奴がいたら、そこから離れればいい。そんなやつは相手にするな。
だって、努力を嘲笑うような奴は、間違いなく自分がひらけるほど努力をしたことがない人間だから。

無駄な努力でもそれが無駄だと感じられるまでやり切ったのなら、それはいい経験になると思う。
そうして次は無駄にならないように効率的に動けるように努力しよう。

ただしそれらに気づくためには、あなたは日々考えながら努力しなければならない。

あなたもどこかで一度がんばりの針が振り切れるような体験をすると、実感が湧くかも。
だから若いうちに自分を追い込む経験をしてみてください。


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