見出し画像

ぼく自身の昔話 弱虫なりの生き方

ぼくの昔話の続きです。

幼い頃のぼくは、誰にでもついていくような子どもだったらしい。いまのぼくを知っている人からしたら、想像つかないかもしれないけど。
まあ、いまでも人当たりは悪くないという自信はある。けど一方では、人と一緒にいることがあまり得意ではないという自覚もある。
だから小さい頃のぼくは、おそらく大人に甘えればいいことがあると打算的だったんじゃないかなと穿った見方をしてしまう。
いまでもそんな魂胆を持って生きていると思う。

人懐っこくてまわりから比較的可愛がられていたぼくは、大きくなるにつれていつのまにか斜に構えて人のことを信用しない人間になってしまった。
傷つきたくないから人と距離を取っていただけな気もするけどね。その傾向はいまでも変わらない。
けど別に不便なこともない。

ぼくは基本的にはまわりに気をつかいつつ、けれど気をつかっていることがばれないように細心の注意を払っている。
わざと自分がくだらない人に見えるような話をしたり、どんな人からも「ぼくを攻めていいんですよ」って態度で、いわば転がってお腹をさらけ出す犬のように振舞っている。

そうすることでなにかあったときに自分がなるべく傷つかないようにして、かつ相手もなるべく傷つけないように平穏に過ごしている(と、ぼくが勝手に思っているだけなのもしれないけど)。
そういう姿勢でいることで、弱虫なぼくは身を守りながらだらだらと生きている。

そんなこんなのぼくの人生を少し語ってみました。
で、さ。
「めんどくせえな」と思いながらも、あなたの心のどこかにぼくのそんな人生が残っていると、なんかめちゃめちゃ嬉しい。

生き物として遺伝子を残したくて生殖行為をおこない、その結果生まれてきた生命に対して信じられないくらいの愛情がわき、大切に育てていく。
それが生き物の本能だとして、ぼくがいまこうして遺伝子とは別のなにかをあなたに言語で伝えようとしている行為は、果たしてなんなんだろう。

本当ならもっと思い出話みたいなこともしたいんだけど、この前言ったみたいにぼくはあんまり昔のことを覚えてはいないからこれで終わりです。
けどいままでずっと、いろんなテーマのもとにたくさんあなたへのメッセージを残すことができたので、それで十分。

もう、このお話たちも終わりが近いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?