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ぼく自身の昔話 思い出の在り処

今回は、ちょっとぼくの話を。
これまであなたに伝えたいことや、その箸休めにあなたとの日常のひとこまを綴ってきたけど、たまにはぼくのことも話してみようかな。
実はただ自分のことを話したくなっただけなんだけど。

ついつい人って、自分のことをどや顔で、いや、どや顔までいかないにしても無性に語りたくなってしまうようだ。
だからまあ、ぼくのこの戯言は適当に聴き流してください。

ぼくの親はよくお酒を呑む人だったから、小さい頃は酔っ払っている大人たちを日常的によく目にしていた。
そんな大人たちをみて「この人たち、自分のことを一生懸命語っていて恥ずかしい」とよく思っていたんだけど、同じことをぼくもしてしまうようだ。
というか、すでにずっとしてきているね。

これはなんだろう、生命が遺伝子を残そうとするのと同じようなシステムなのかな。
人類に特有の、文化を残して継承していこうとする特性みたいなものだろうか。
まあ、いいや。
しょせんぼくが勝手にあなたに語りたくなっているだけ。あのときの酔っ払った大人たちと同じように。

さて、ぼくは小さい頃の記憶があんまりない。というか、過去のことで覚えていることは本当に少ない。
これはぼくの性格の問題だと思う。昔からずっと、次のことばかり考えているんだよね。「次、なにしようか」と。

思い出が少ないことはぼくの親にも申し訳ないと思っている。いろいろよくしてもらってきたはずなのに、そのほとんどを忘れてしまっているのだから。
次のことばかり考えすぎていて、どこかに遊びに行ってもその場をちゃんと味わって楽しめなかったような気がする。
そんなんだから、「次どうするの?」と聞いて怒られたこともある。
そして旅行とかに行った具体的な記憶がとても少ない。
ぼくは薄情な人間だ(だからこうやって書き記すことで記憶を残しておけると思っているふしもあります)。

それでもきっとぼくという存在がそこそこ丁重に扱われてきたから、こうやってひねくれることなく、いや、ひねくれてはいるんだけど、一応ここまで生きてこられたんだろう。それなりに日銭を稼いで生きていくことができる人になったのだろう。

だからぼくも自分の親にしてもらってきたように、あなたのことを大切にしていきたいと思っているよ。
あなたがぼくとの記憶をなくしたとしても、その心の奥底でひっそりとぼくが生きていたらいいかな、と思っています。
いや、ぼくなんかいなくてもいい。
ただあなたが日々自分に誇りをもって、たのしく生きてさえいてくれればそれでいい。

あなたがあなたとして存在してくれているのならば、もうそれで十分。
だからぼくはあなたがそうなれるように、日々を大切にしていこうと思っています。

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