予測不能の世界の縮図[読書日記]

カード師 中村文則 著 (朝日文庫)

 「合理的でない」「科学的ではない」とされるものが、人間の生活には深く根ざしている。もちろん、それらには良い面も悪い面もある。
 そのようなものが蠢く世界でこの物語は進行し、実際に起こった事件も描写されながら語られる。様々な素材が絡み合って存在している物語で、力作だと思う。

 事故や天災など、何が起こるか予測できない世界で人間は意味を求めながら生きている。そんな心理に入り込めるもののひとつに占いや宗教があるのだろう。もしかしたら、ゲームやマンガ、アニメ、ドラマなどの物語もそのひとつのかもしれない。
 さらに言えば、そこで飽き足らない人間が自己の内的な安全性を求めて、まだいろんな場所や方法で魔女狩りを続けているのだとも思う。

 ぼくはよく、横たわりながら本を読む。
 そうやって本書を読んでいて白昼夢のような状態になると、声が聞こえてくる。嘲るような、脅すような声。その声に導かれ、そのまま落ちていきたい誘惑に駆られる。そうして、もう何もかも捨ててしまいたくなることがある。
 ぼくにとって心地よいのはきっとそういう場所で、だから著者の作品を定期的に読むことで自分を見失わないでいられるのかもしれない。
 一方で、そのように感じることは、ただそうやって暗いところで悦に浸っているだけではないのか、とも思う。ぼくにあるのは、ただただ陳腐なニヒリズムなのだと感じてしまう。

 それでも、物語で主人公が巻き込まれるポーカーゲームの場面では、「なんとかなって欲しい」と希望を散りばめながら読んでいた。
 主人公が巻き込まれたその場のルールは強固なものだったが、嘘に塗れた場所でもあった。それに対してぼくは言い知れぬ不快感を感じた。
 この世界もそうなのかもしれない。ぼくが甘ったるい生活をしているだけなのかもしれない。それはわからないけど、やはりなんとかなって欲しい、良い方向に進んで欲しいと思うしかなかった。
 主人公はなんとかして切り抜けたのだが、そのように生きる環境を選ぶために努力することは、人生において欠かせないことだと思う。そうでないと、流されて行き着く先が、(ぼくの場合は)嫌いな嘘に塗れた場所になるかもしれない。
 結局ぼくは、陳腐なニヒリズムを持ちながら、実は明るい方向を目指しているだけの人間なのだと思う。

 と、つらつらと書いていて思った。このような作品を、このように安直に言語化して良いのだろうか、と。
 本来、物語とはそれ自体としてしか存在し得ないはずで、それを評論したり感想をまとめたりする行為は、その物語を切り取っているだけのものだ。それはつまり、物語全体がもたらしてくれるものの一部でしかないし、故に物語を矮小化しているとも言える。 
 しかしそれでも、ぼくはこうやって考えたことを書き残していたい。


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