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昔の勝負曲、戦う勝負曲

先月、勝負下着について書いたのですが、これは note のお題企画でもなんでもなかったこともあって、ほとんど誰にも読まれず、スキもつきませんでした(笑) 

今週は #私の勝負曲 の募集がかかりました。企画に応募する形ならもう少しは読んでもらえるかと、一縷の望みを繋いで投稿してみます(笑)

思えば長い人生の中で、私は何度も音楽に助けられてきました。歌に励まされ、歌に背中を押され、歌に悲しい気持ちを託してなんとかかんとか生き延びてこられた、と自分では思っています。そんな歌のいくつかをここに挙げてみることにします。

年を取っている分、思春期はそれだけ昔になってしまっており、従って古い曲ばかりになって申し訳ありませんが(笑)

なお、著作権法の「引用」の要件を満たすため、歌詞の引用は最小限に留めますので、歌詞全体をお知りになりたい方はご自分で検索してみてください(以下の歌は全て、歌っている歌手の作詞作曲によります)。

『人生を語らず』吉田拓郎

吉田拓郎は私が人生で最初にガツンと来た日本人アーティストです。だから、彼の曲にはたくさん語りたい作品があり、個人的なエピソードもあります。でも、今回の企画テーマに沿って、その中から1曲だけ挙げるとすれば、この曲なのかなと思います。

同名のアルバムに収められた 1974年の作品。超一流のバックミュージシャンを集めて、脂が乗り切っていたころの拓郎です。

越えてゆけそこを
越えてゆけそれを
今はまだ人生を語らず

人生を語るにはどう考えても早すぎる、高校に入ったばかりの私が、苦しくなるといつも心の中でこの歌を口ずさんで歯を食いしばってきました。この歌のおかげで、いまだに私は人生を語ることなく、前を向いて進んで行けている気がしています。

『大文字』豊田勇造

豊田勇造を知っている人は多くないかもしれません。関西フォークの代表的なシンガーソングライターで、ブルーズからレゲエ、そしてタイの音楽にまで幅広い音楽性を持っている人です。70歳を過ぎても、まだ元気に歌手活動を続けておられるようです。

そして、ここで挙げておきたいのは、当時のフォークに特徴的な強いメッセージ性。でも、それは選挙演説のようなメッセージではなくて、私にとっては心洗われる“詩”でした。

この曲は 1976年に発売された『さあ、もういっぺん』というアルバムに収められています。

男の背中で大の字に山が燃える
男の手の中でハチドリよブンブン飛べ

この「ハチドリ」は一見何のことだか分かりませんが、実はギターの銘柄 Hummingbird を訳したものです。そして豊田勇造は私に「さあ、もいっぺん さあ、もいっぺん 火の消える前に」といつも鼓舞して来るのでした。

『Strange Days -奇妙な日々-』佐野元春

会社に入ってからの鬱々とした辛い毎日の中で勇気づけられたのはこの曲です。1986年の『Cafe Bohemia』所収。

佐野元春もデビュー以来ずっと好きだった歌手ですが、この曲が一番突き抜けているのではないでしょうか。ロックです。

あの光の向こうにつきぬけたい
闇の向こうにつきぬけたい
この夜の向こうにつきぬけたい

果たして私はつきぬけることができたんでしょうか?

『愛は勝つ』KAN

そもそも私は「愛は勝つ」などという、何の根拠もなく空回りする言説が大嫌いです。でも、この歌ぐらいストレートに、何が何でも「必ず最後に愛は勝つ」などと歌われると、その底なしの脳天気ゆえになんだか許してしまう、と言うか、却って勇気づけられるような気になりました。

1990年の大ヒット曲でした。その翌年、私は同期の中では遅いほうになってしまった結婚をして、披露宴のお色直しの後の入場行進曲にこの歌を選びました。

愛が全てに勝ったかどうかは分かりません。でも、この結婚はまだ何にも負けていない気がします(笑)

『ファイト!』中島みゆき

中島みゆきにはあまり興味がありませんでした。フォークとロックで育ってきた私にとって、彼女は少し歌謡曲っぽい感じがしていました。それが1983年に発売されたこの曲に、私は初めて完全にノックアウトされたのでした。

ファイト! 闘うきみの唄を
闘わない奴等が笑うだろう

そう、この曲は以来ずっと私の心の中で鳴り続け、闘わない自分を戒め、闘う孤独を癒やしてくれました。

そして最近私は周りを見渡してふと思います。そうか、君等はもう戦わんのやね、と。


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