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自分が何をやりたいのか分からない若い人たちへ

「自分が何をやりたいのかよく分からない」と言う若い人が多いと聞きます。でも、自分の若い頃を思い出すと、ま、そんなもんだろうなという気もします。

「俺がそうだったから君らも大丈夫」なんて根拠のないことを言うつもりはありませんが、まあ、何かの慰みになるかも、と思って、若い人たちのために書いてみます。

それが決まらないからとりあえず

中学3年のときのホームルームの時間に、進路の話をした担任教師が

「みんなが高校に行くから自分もなんとなく高校に行く」というのではダメだ。自分は将来どういうことをやりたいのか?──それをよく考えて進路を決めなさい。

みたいなことを言いました。私は強い違和感を覚えて、手を挙げて言いました。

14歳や15歳で自分の将来を決めてしまいたくありません。僕はそれが決まらないからとりあえず高校に行きます。

と。まあ、担任からしたら扱いにくい、小賢しい生徒だったでしょうね(笑)

それを探しに行きます

高校3年になって、担任教師との面談で

君は何をしたいんだ? そこから考えて大学や学部を選ばなきゃダメだよ。

と言われて、私はこう返しました。

僕は大学に、それを探しに行きます。

変わってないです(笑) 「自分探し」なんて言葉がまだなかった時代でしたが、今考えると私は自分を探してそれなりにもがいていたのだと思います。

私は本を読むのが好きだったので、本当は文学部に行きたかったのですが、封建的な考え方丸出しの父親が「文学なんか女のやるもんや」と言って許してくれません。

ならばいっそのこと自分が一番興味のないことをやってみようと発想を転換して、私が選んだのは経済学部でした。ある意味、これが私の人生に大きく作用した面もあったのではないかと思います。──何を学んだかということもありますが、どういう学生や教官と交流を持ったかということが。

最初は話をするのもしんどかったです。何と言うか文学を志向する人間の発想と経済学を志向する人間の思考が噛み合わない感じ。

そして、読書歴が全く重ならないこと。よく憶えているのは、私がトーマス・ハーディを引き合いに出して何かを言ったときに、私の友人はトーマス・ハーディという名前が初耳だったらしく、「そんな経済学者知らなかった」という感じでかなり慌てたみたいです。

彼は不安げな顔で訊きました。

トーマス・ハーディって、それ、何書いた人?

その逆もあって、と言うか、その逆のほうがむしろ日常茶飯事で、彼らは私が聞いたこともない経済学者の著作を挙げて、「当然これは読んでるよね?」みたいなことを悪気なく言うのです。いやあ、なかなかしんどかったなあ。

とりあえず好きかも

さて、そんな私もなんとか無事に大学で3年ちょっとを過ごし、就職活動のシーズンになりました(当時は就職活動は大学4年生の夏からでした)。

相変わらず何をしたいのか掴めていない私は、同級生たちが次々に内定を取っている(当時は未曾有の売り手市場でした)中で、取り残されて行きました。

と言うか、やれ銀行に受かった、自動車メーカーに決まったなどと言っている同級生たちを見て、彼らは一体何を基準にそこを選んだのだろう?と不思議に思いました。

私は自分で自分を考えてみて、金勘定が好きかと言えばそうではない(だから銀行ってのもなあ…)、自動車が好きかと言えばそうでもない(だから自動車メーカーもなあ…)という感じで、それを言い出すと化学繊維も好きではないし、輸出入も好きではないし、役所の仕事も(どんなのかは実は知らないけれど)好きではないし…となって袋小路の行き止まりになってしまいました。

そんなときにふと思ったのは、

あ、俺、テレビは好きかも。

ということで、じゃあ、テレビ局を受けてみようと思いました。

マスコミがマスゴミと言われ始める遥か前で、マスコミが結構花形職業だと思われていた時代です。事実同じようにテレビ局を受けた私の元同級生は、選んだ理由として「タレントとの華やかな交際にあこがれて」なんてことを言っていました。

周囲に聞いてみると、マスコミを目指している者は随分前からそのための勉強や準備をしていて、競争率もかなり高いので通るわけがないと言われましたが、まあ、受けるだけ受けてみようと思って受けたら、NHK を含む3社を受けたうちの1社に通り、現在に至っているわけです。

私の人生、そんな感じです。今なら転職ということもあるのでしょうが、当時は転職するということは多くの場合「一つの会社で辛抱が続かない落伍者」の烙印を押されることになりましたし、また転職市場も極めて小さかったこともあって、辛いことも全部辛抱して1つの会社で延々と働いてきました。

分からない自分が自分を決めて行く

私はテレビ制作を志して入社をしたのですが、しかし、せっかくテレビ局に通ったのに、直接番組の制作には全く関わらせてもらえず、営業、編成、インターネット、経営戦略などをやらされて1本も番組を作ることなく長いサラリーマン生活を終えようとしています。

皮肉なもんです。でも、良かったか悪かったか、なんてことを考えても仕方がないし、結果論で物事を判断しようとも思いません。

ただ、その時々で、私は何をしたいのか分からない自分が何をすべきなのかを考えて、自分で自分の行き先を決めてきました。「分からないからとりあえず」なんてことも含めてですが。

それで良かったかどうかは、重ねて書きますが、考えません。ただ、その時々の判断が今の自分を作っているのは確かだと思います。

大事なのは本当は自分が何をやりたいか、やるべきか、ではなく、とりあえず今何をするかを自分で考えて自分で決めて行くことだと思います。

そのときの判断が次の自分を作り上げて行くのだと思います。自分の判断が、次の自分が何をやりたいか、するべきかを見つけてくれるのではないでしょうか。

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