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直腸脱入院記

5月7日(日)から 14日(日)まで1週間入院していました。手術も受けました。

直腸粘膜脱という病気です。(排便時に)肛門から直腸が裏返って外に出てくるという想像するだにおぞましい症状(自分でそれに気づいた時は愕然としました)ですが、多くの場合痛みはないそうです(私の場合もありませんでした)。

(脱肛というのが広い意味での総称なのか、それとも微妙に違う病気なのか、私はよく解っていません。ちなみに、脱腸というのは全く別の病気のようです)

ただ、痛みはないとは言え、なんとなく肛門が詰まった感があり、便が出にくい気もして、非常に不快なものでした。

実は 25年前に痔瘻になり手術を受けました。山川詠輔という偽名で書いたその体験記は『痔瘻物語』というタイトルでネットにも上がっており、私の仲間内では名作と言われていました。ただし、決して香り高い文学ではありません(笑)

部位が同じなので痔と痔瘻は混同されますが、発症の原因もメカニズムも異なる病気です。で、今回の直腸脱も全く痔や痔瘻とは関係のない、別の病気だろうと思っていたのですが、どうやらこれは痔の成れの果てのようなのです。

痔瘻は手術で根治したのですが、その後いつしか、疲れてくると痔核(いぼ痔)が出てくるようになりました。でも、それは一時的な現象で、市販の座薬で割合すぐに治まり、普段は内側に引っ込んでいるのか何の症状もないので放っておいたのですが、それが良くなかったようです。

というような話は実は今回病院で受診して初めて知ったことです。

まずは自分でネット検索して調べると、今は指で押すと中に引っ込む直腸脱が元に戻らなくなる場合もあるとのことで、手術以外に治療の術はないと書いてあり、観念して専門医を訪ねたわけです。

肛門外科の専門医である院長先生曰く、腸という柔らかい管の内側に硬い痔核、あるいは手術痕が固くなってしまった部位などがあると、降りてきた便がそこで引っ掛かって、その部位がびろーんと下に延びてしまうのだそうです。

先生が言うには、

痔瘻はある日突然来たでしょ? でも、痔はゆっくり時間をかけて少しずつ悪化して行くんです。

その成れの果てが直腸脱とのこと。で、いつの期から核の覚があったかを訊かれ、怩たる思いで答えたら、先生は僕の顔をっと見て、

あなたの場合は年季が入っているので、薬では無理です。手術をお勧めします。

と言いました。The End です(笑) しかし、もとより手術のつもりで来たので、病室が空くのを待って入院することにしました。

しかし、カメラを入れてみると直腸脱は1箇所かと思ったら2箇所あり、

1箇所だけなら術後3日入院、2箇所以上なら1週間の入院になりますがどうしますか? とりあえず大きい方は切るとして、小さいほうは今は害はありませんが、そのうちに大きくなって今と同じような症状になるかもしれませんし、ずっとこのまま大きくならないかもしれません。その辺りは予測はできません。とりあえず1箇所だけ切ると言う人もいます。

などと言われましたが、そんなケチくさいこと言っても仕方がないと思って、2箇所切って1週間入院を選んだのですが、なんと手術が終わってみたら3箇所切ってるじゃないですか! それ以外に ALTA硬化療法というの(興味のある方は自分で調べてみてください)もやったみたいです。

手術記録とか退院時要約とか、この病院は結構丁寧な説明書類を用意してくれました。

25年前の痔瘻の手術は、大阪の所謂 Day Surgery(日帰り手術)を売りとする専門医で受けたのですが、あの時はすぐに家に帰れるのも当面会社を休まずに済むのもありがたいと思ったものですが、今思えば、手術をしたばかりのあんな状態(痛いのなんの、血が出るのなんの)で家に帰し、会社に行かせるのは酷なことだったと痛感しました。

例えば腕の骨が折れたというようなことであればその部位を固定して使わないようにしながら回復を待つのですが、人間はうんこしないと生きていけないので、直腸や肛門を全く使わず絶対安静というわけには行かないのですから。

逆に今回の病院は、術後ケアの観点から入院させることを大前提にしています。精神衛生上も、患者にとってはそのほうがありがたいことを実感しました。

今回、25年前の手術瘢痕を見て先生が不審がるので、私の尻限り、いや、知る限りで(何しろ自分では何をやられているのか見えないのでちゃんとは尻得なかった、いや、知り得なかったのですが)当時の手術法や治療法を話すと、先生はとても訝しげな顔で言いました。

大阪はちょっと特殊なんですよね。保険は効かないし、治療法は一子相伝、門外不出で、しかも学会には全く出てこないので、外から見ると何をやっているか分からない──そういう医者が大阪には多かったんですよ。

「多かったんですよ」と、一応過去形になっていました(笑) ま、25年前の治療がどうだったのかは知る由もありませんが、今回はこの病院で良かったと思います。

『痔瘻物語』には治療や待合室風景など事細かく書きましたが。今回はそこまで詳しくは書きません。

ひとつだけ、我ながら面白いなと思ったのは、手術後に先生に「随分と彫りの深いお尻でした」と言われたこと。私も最初は意味が分からなかったのですが、先生曰く「彫りが深いと言うのは顔の彫りが深いと言う場合と同じ意味です」とのこと。

それでもよく理解できずにいたら、先生が図解してくれました。それがこの記事の冒頭に載せた絵です(笑) 患部が奥まったところにあるのでメスを入れて切るのに苦労したとか。術後の軟膏を塗るのも大変です。

この病院では、患部を温めると血行が良くなって痛みが緩和するという観点から入浴を推奨され、朝の6時から希望すれば何度でもお風呂に入れたのはありがたかったです。シャワーではなくちゃんと湯船に浸かれます。しかも、係の人が毎回毎回新しいお湯を張ってくれます。

私は毎日3回ずつ入浴していました。

思えば25年前の痔瘻の手術が人生初手術(入院はなし)でした。

その後は割合無事に暮らしてきたのですが、2年半前の良性発作性頭位めまい症が人生初救急搬送、2年3か月前の体外衝撃波で尿管結石を破砕したときが人生初入院(1泊だけ、これは手術ではなく施術)

とキャリアを積み重ねて(笑)今回が2回目の入院、2回目の手術となりました。

随分ガタが来始めました。まあ、でも命に関わるような病気ではなくて良かったです。あ、ちなみに全治までには術後 6~8週間を要するとのことで、お尻はまだ少し痛いですけど。

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