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会社で働いて、歳を取ってから、どんな風に会社で働くか

歳を取ることについて書かれた文章は少なくありません。名文もあります。なるほど、人は歳を取ると歳を取ることについて書きたくなるのか、と思います。

ただ、仕事をする中で歳を取るということ、それも、平社員が何十年かけて社長になるといった立身出世物語ではなく、取締役になったりせずに歳を取って働き続けることがどんな感じなのか、それについてはあまり書かれた文章もないような気がして、書いてみることにしました。

一般論風に書いていますが、一般論ではありません。あくまで私の場合の一例です。ただ、部分的には、いろんな人にとっていろんな部分が一般的に感じてもらえるのかもしれないな、とも思います。

まず、歳を取ると、完全に会社を去る前に、自分がこれまでに身に着けたノウハウや、極意、心構え、コツ、あるいは禁忌などを、何らかの形で後進に伝授したいと思うようになります。

これはごく自然なことだと思います。決して自分の功績を伝えたいのではありません。自分の存在感を示したいのでもありません。せっかく学んだことを伝えたいという非常に素直な心なのです。

一方で、「もう自分が出しゃばる幕はない」という思いも、周りの人たちが想像するよりも強くあります。

というのも、私の場合は若い頃、会社の OB や定年間近のろくに喋ったこともない大先輩に対して、「こいつら早く死んだらええのにな」と思ったりしていたものですから。だから、逆に今の自分が、歳を取った今の自分が出しゃばってはいけない、という思いは実はめちゃくちゃ強いのです。

卑屈になっているのではなく、自然の摂理を受け入れる感じで。端的に出しゃばってはいけないと思うのです。

若い頃の自分を大いに悩ませてくれたパワハラ上司や思い込み上司の姿を思い起こして、「年寄りの成功体験が若手を潰してしまうことがある」と一歩退いてしまうのです。

そう、「私はこうやって成功した」という話は「君たちもこうやったら成功する」ということではないし、「こうしなければ失敗する」ということでもありません。せっかく自分のノウハウを伝えようとしても、押しつけがましい伝え方になっては意味がないのです。

しかし、そのくせ、その一方で、自分は結局のところ、長い時間をかけて若い人たちをスポイルしてしまったのはないかという強烈な後悔の念もあります。

私たちはパワハラ上司や思い込み上司の姿を見て、「あんな上司にだけは絶対にならない」と固く心に誓い、もっと思慮深くて根気のある上司であろうしたのですが、でも、考えてみれば、私たち自身が、そんなひどい上司によって鍛えられ、成長し、自分でノウハウを掴み取ってきたということも否定のしようがありません。

それを考えると、若い人たちの成長のためには自分はもうちょっと物わかりが悪く、傍若無人な専制君主であるべきであったのではないかと、なんだか暗澹たる気分に陥るのです。

何をウダウダ書いとんねん!と言われそうですよね。

そう、歳を取るということは、即ちいろんな経験をして、いろんな知識を積み重ねてしまった結果、あまりにも要素が増えてしまい、そのために判断が割れ、決心が揺らぐということなのだと思います。

ただ、そんな中で、会社員としてもう残された時間があまりないのだという意識だけはかなりしっかりとしていて、その短い時間の間に、どんな形でも良いから、と言うより、どんな形が良いのか個別に探りながら、いろんなことをひとつずつ、いろんな後進に伝えていきたいという思いだけは、これだけは揺らぐことなくしっかりとあるように思います。

難しいです。でも、その難しいことを考えて行くことが、歳を取ってからの仕事であるような気がします。

それを考えると、歳を取ってからでもやることがあるんだ、という気がします。と言うか、それぐらいしか我々が働いている意味はないのだと、そんなことを考えながら、残り少ない会社生活を送っています。

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