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圧倒的な小説──デリーロとパワーズ(後編)

(前編のドン・デリーロはこちら)

リチャード・パワーズ

パワーズは今のところ7冊読んだ。最初に読んだ『舞踏会に向かう三人の農夫』(1985)は彼のデビュー作で、もう訳分かんないお化けみたいな小説だった。大著だし話は交錯しまくるし、読むのが非常に苦しかった。

いまいち消化不良のまま終わった『舞踏会に向かう三人の農夫』に比べて、次に読んだ『ガラテイア2.2』(1995)は明快なストーリーがあって解りやすかった。

とは言え、読んでいる途中で、と言うか、1ページ目の最初の行からして考え込んでしまう。2つの話が交錯しまくるし、コンピュータ関係、脳神経医学、英文学(しかも人類のほぼ全歴史に亘って)などものすごく広い領域に拡散する。レトリックが飛び交う。頭がクラクラしてくる。

何故こんな本を読むのだろう?と人は言うかもしれない。しかし、僕が知りたいのは、何故こんな本を書くのだろう? 何故こんな本が書けるのだろう?ということである。

もちろん、読んだってその答えは得られない。しかし、だからこそまた、その答えを求めて読んでしまうのである。

『囚人のジレンマ』(1988)は『舞踏会へ向かう三人の農夫』の次に書かれた小説である。

メインは家族の話である。父と母と2人の息子と2人の娘。父は病気である。その父が食卓や食後の団欒の場で家族に謎かけをする。クイズを出す。詩を朗読する。歌を歌う。警句を発する。表題の「囚人のジレンマ」は食卓で父が出したクイズの1つである。

そして、これとは別に父の青春時代と戦争を回想するストーリーがあって、さらにもうひとつ、主にウォルト・ディズニーと戦争との関わりを大胆なフィクションを交えて描いたドキュメンタリ風の物語が進行する。

そしてこのぐちゃぐちゃに入り組んだ網目状の文章を読み渡って行くと、最後にそれが繋がってくる。ここに至って読者はガツンと頭を殴られたような気分になる。家族を描いていたはずのストーリーはいつのまにか世界を描いていたのである。

そこから先は発表順に読んでいる。

『われらが歌う時』(2003)は、読むのにものすごいパワーを必要とするところはいつも通りなのだが「難渋する」という感じがなく、すらすらと読める。しかも、読んでいて楽しい。あれ?これがパワーズか?と少し不思議な気分になった。

ただし、今回も決して生易しい素材ではない。そして、今回も複数の話が交錯する。ユダヤ人亡命者と黒人の男女が出会って結婚するのがこの小説の出発点である。黒人と白人の結婚を法律で禁じた州も多かった時代だ。

黒人の母は歌手の卵である。ユダヤ人の父は数学・物理学者であり、彼もまた音楽には深い造詣と高い能力がある。この2つの設定によって、いつものパワーズらしく数学・物理学と音楽に関してとんでもなく深く広い領域にわたる知識の爆発がある。いつも通り読んでいて頭がクラクラしてくるのである。

この作家の凄いところは最後に来てのまとめ方である。なんとなく余韻があって終息感があって終わるような小説ではない。まさか関係があるとは思えなかったものが突如として繋がるのである。

『エコー・メイカー』(2006)は全米図書賞を受賞した作品だ。僕としては、パワーズは年々読みやすくなっている気がする。

カリン・シュルーターの弟マークが交通事故に遭い、頭部に損傷を受ける。カリンは仕事を投げ打って病院に駆けつけるが、やがて意識の戻った弟は彼女を姉と認めず、上手く真似てはいるが別人の「カリン2号」だと言う。買っていた犬もすりかわっていると主張する。

そこに呼び寄せられた脳科学者ウェーバー、病院の看護助手バーバラ、自然保護活動家のダニエル、そして、毎年その地に降り立つ鶴の大群が絡んで、まるでミステリ小説のように、読者に先を読ませる道具は見事に揃っている。

だが、これはミステリでもなければ、医療ノベルでもない。では、何なのか?と言われると、これはパワーズであるとしか、他に言いようがない。訳者あとがきを読むと、この小説の構造が脳の構造を反映していると書いてある。溜息が出る。

その次の『幸福の遺伝子』(2009)についても、こんなに読みやすくて解りやすくて、素直に面白いパワーズは前代未聞だと思った。もっとも、読みやすいと言いながら、僕は1ヶ月では読み終わらなかったが(笑)

元売れっ子作家で、今は大学や添削教室で教えているラッセル・ストーンは、自分の生徒の一人である、アルジェリア出身のタッサという女学生がとてもポジティブで、いつも幸せそうで、そして、周りにいるみんなまで幸せな気分にしてしまうことに気づき、彼女は幸福を感じる遺伝子を持っているのではないかと考える。

そして、この本の1行目から「私」という一人称で語りかける何者なのか?

このまとめ方は、そして、きっちりまとめきらずに終わるこの余韻は!──本当に舌を巻く、ものすごい小説である。

『オルフェオ』(2014)はこれまでの作品のように入り組んだ構造にはなっておらず、パワーズの小説としてはとりわけ読みやすいと思う。だが、やはりべらぼうな書物である。なにしろテーマが音楽と遺伝子工学というとんでもない組合せなのだから。

作曲家のピーター・エルズは、70歳を過ぎ大学講師をやめてから生物化学に興味を持ち、微生物の遺伝子に音楽を組み込もうとする。そこにある日突然警察がやってきて、家宅捜索を始める。容疑はバイオテロ。

2度めに警察が来た時に外出していたエルズはそこから逃亡する。そして、そこから、エルズの逃亡生活と、大学をやめるまでの半生とが交互に語られる。

時制がころころ入れ替わるので、読んでいて時々分からなくなる。でも、これまでのパワーズの、目眩がしそうなほど多彩に編み込まれた小説と比べると、作りは非常に単純である。

音楽と化学と人生と、さらに星座までもが重ね合わされて、大きな読後感となる。やっぱりいつものべらぼうなパワーズの世界がここにある。

もう1冊翻訳が出ているピューリッツァー賞受賞作の『オーバーストーリー』(2018)はまだ読めていない。

以上、延々と書いてしまったが、デリーロとパワーズは紛れもなく圧倒的な作家であり、それ故読むのが非常にしんどい作家である。では、なんでそんなものを読むのか?

──それはしんどい目をして1冊読み終わったらきっと解ると僕は思っている。

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