僕がミュージックシーンに登場したころの話
以下は私が自分のホームページで、2001年8月に『キーを叩く』というタイトルで連作音楽エッセイを開始したときに巻頭に置いた文章です。
ホームページのほうは閉じてしまいましたが、この note にも音楽関係のジャンル(マガジン)を建てることにしたので、今回ここに少し加筆修正して再掲したいと思います。
君はいつごろミュージック・シーンに登場したか?
僕の友人の黒谷君によるとても良い表現があります:
「君はいつごろミュージック・シーンに登場したか?」
この言葉の意味するところはこうです:
君はいつから広い意味でのポップス(もっと正確に言うと、クラシックではない流行音楽のことで、ロックでもポップスでも、あるいはヒップホップでも R&B でも何でも良いのですが)を聴き始めたか?
凡庸な人間はせいぜい「ミュージック・シーンはいつから君の前に現れた?」と言うのが関の山です。でも、彼は逆に「君」を主語にして、「ミュージック・シーンに登場」させてしまいました(笑)──素敵な表現だと思いませんか?
そう、僕らの世代がポップ・ミュージックを聴き始めた時には、それくらい明示的で積極的な参画意識を抱いていたものです。
あの頃、ロックやフォークは若者だけのもので、日本の社会はまだそのような音楽を完全には認知していませんでした。音楽に参画することは大人社会に対する自己主張でした。
僕がミュージック・シーンに登場したのは1970年。中学の入学祝いにラジオを買ってもらった年です。その何ヶ月後かにはギターも購入しています。そして、世界のミュージック・シーンにおいてはビートルズが解散した年でもありました。
だから僕たちは後から参加したビートルズ世代でした(その後僕がどのような形でミュージック・シーンに関与して行ったかということについては別の機会に譲ることにします)。
当時中学生の僕と幼なじみの俊ちゃんとの間でこんな会話をした記憶があります。
俊:「なあ、ジョン・レノンやミック・ジャガーは50歳になってもロックやってるかなあ?」
僕:「さあ、どうかなあ。でも、やってたら嬉しいなあ」
それから10年後の1980年12月8日、ジョン・レノンは40歳で撃ち殺されてしまいました。一方、ミック・ジャガーのほうはいくつになろうとも相も変わらずにロックをやっています。エリック・クラプトンなんぞは50歳を過ぎてからもNo.1ヒットを飛ばしました。
僕らが若かったころ、僕らの世代と僕らより上の世代、具体的に言うと 1945年の第二次大戦終戦以前に生まれた世代との間には大きなギャップがありました。僕らにとって彼らは、音楽の面においてもお互いに分かり合えない存在なのでした。
日本人は、生まれが1945年頃より前か後かで、趣味趣向に大きな違いがあったのです。それは敗戦による文化の大転換を消化できたかできなかったかの差だ思います。
僕は会社で 1995年から3年間ほど視聴率とそれに伴う社会調査などの担当をしていたのですが、その時の経験からそのことをはっきり認識しました。
1996年の調査結果を見ると、当時の50代(1937から1946年生まれ)・60代(1927から1936年生まれ)の好きなタレントは吉永小百合や渡哲也で、好きな音楽は演歌でした。
当時、木村拓哉は好きなタレント部門で10代・20代・30代・40代女性の全てにおいてトップ10に入っていましたが、50代と60代のランキングにはまるで登場しませんでした。
それとは逆に、10代から40代の世代において、演歌は全く人気のない音楽ジャンルでした。
ことほどさように、戦争世代と戦後世代との間には音楽や他の趣味において大きな断絶があったのです。敗戦による価値体系の崩壊によって、日本文化は大きなギャップを背負ってしまったのです。
僕らはものの感じ方や考え方で、親たちの世代と鋭く対立し、さらに音楽の趣味でもお互いを胡散臭い目で見ており、そういうこともあって自分たちの好きなロックやポップスを大音響でかけるという行為が社会に対する自分たちの、自分たちの世代のアピールでもあったわけです。
その後、幸いにして日本に戦争はなく、ポップ・ミュージックは常に変化はしながらも決して断絶することなく続いてきました。そのおかげで、50歳を過ぎても活躍して食って行けるミュージシャンがいる一方で、いつまでもミュージック・シーンから退出しないシニア世代のファンがいられるのです。
中学からギターに狂い始めた俊ちゃんは、大学には行ったものの結局夢を捨てられず、就職せずセミプロの(つまりプロでは食えない)ギタリストになりました。そして、彼は41歳でこの世を去りました。
僕は死なずに音楽を聴いています。
自分でギターを弾いたり、歌ったり、作詞・作曲したりすることはほとんどなくなり、聴いている時間も昔よりはるかに短くなりました。
でも、それでも今もってポップ・ミュージックと繋がっていられるのは、あの時、自らミュージック・シーンに身を投じた結果かと思うと、なんだか大変嬉しく、誇りにさえ思います。
僕がミュージック・シーンに登場してもう30年が過ぎてしまいました。でも、まだそこから退出する気にはなりません。
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