ジジイと野獣
facebook上で知人が、「老害によって会社の改革が進まない」みたいな記事をシェアして嘆いていたので、コメント欄に「ジジイ死すべし。ジジイが書いてるので間違いない」と書いておいた。
「ジジイ死すべし」というのは「野獣死すべし」をもじったつもりだったのだが、分かってくれただろうか?(笑)
で、その何日か後に大阪に行って元の部下と食事をしていたら、彼女もまた「上司が思った通りに動いてくれない」と言って嘆いていた。サラリーマンの上下関係というのはどうしてこんなに難しいのだろう。
彼女は「でも、私がそこまで言うのもどうかと思って…」などと言うので、僕は2つのことを返した。
思っていることはやっぱり言うべき。言わないと伝わらない。
言ってしまって自分が痛い目に遭うことはある。けど、それは仕方がない。
そこからまた話が広がって(いや、深まって? いや、深みに嵌って?)行ったので、もう一つ話をした。
それは上司に判断させてはいけないということ。偉くなればなるほど人は現場から遠くなる。現場のことが分からなくなる。現場のことを一番しっかり把握しているのは一番現場に近いペーペーなのである。
もちろん上司には経験がある。蓄積したノウハウがある。そして、鍛えられてきた総合的な判断力がある。その部分にはちゃんと頼って、巧く使って行けば良い。
でも、上司はやっぱり現場からは遠いところに立っているので、下手に判断させると間違った判断をする。
そういうわけだから、むやみに上司に「どうすれば良いですか?」と訊いてははいけない。「自分はこう思う、こうしたい」ということを伝えてそれをオーソライズしてもらうのだ。
みたいな話を、偉そうな、老害っぽい感じになっていなければ良いなあと思いながら話した。自分としてはあくまで訊かれたから答えたつもりであり、年寄はそういう感じで若い人たちと接するのが一番良いのではないかと思っている。
僕が勤めていた放送局などというところは、昔は結構無茶苦茶で、でも、それが番組を作り出すエネルギーになっていたのも確かだった。それが時代とともに、社会的な要請もあって、会社はどんどんまともに、システマティックに、コンプライアントに変容してきた。
その結果、よく言うように会社に野獣がいなくなった。昔は何と言うか、放っておいたら何をしでかすか分からない野獣というか、猛獣みたいな危ない社員がたくさんいた。でも、そんな人たちが新しい世界を切り拓いて行った面があったのも確かだ。
前にもどこかに書いた気がするが、世の中を変えて行くのは結構胡散臭い人たちであったりするのだ。
そして、猛獣だけではない。社内には猛獣がいなくなっただけではなく、猛獣使いもいなくなったのだ。考えようによってはこちらのほうが問題かもしれない。
猛獣を上手に野放しにして、でも、肝心なところではしっかり手綱を握りしめてコントロールできる人がいなくなってしまったのだ。
だから猛獣が社内に出現すると、瞬時に射殺されるのである。
僕は猛獣と言えるほどのすごいことはできなかったし、猛獣使いと言うほどの役割も全うできなかった。でも、猛獣を巧く活かしたいという思いはあった。しかし、なんであれ猛獣の時代ではなくなってしまった。だから、今の社内では役に立たないお払い箱なのである。
野獣は本当は死すべきではなかったと僕は思っている。でも、そういう世の中になってきたのだとしたら、野獣がいない世界で世界をどう良くしていくかを考えるしかないのも確かである。
一方、自分がお払い箱になっていることにさえ気づかず、いつまでも自分たちの経験と判断基準でしか物が言えないジジイは本当に死すべきだと思っている。
ちなみに、このタイトル『ジジイと野獣』は、ヘミングウェイの『老人と海』(The Old Man and the Sea)とディズニー等で有名な『美女と野獣』(Beauty and the Beast)を足して2で割ったような形になっており、自分では気に入っている(笑)
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