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放送とインターネット

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放送局に勤めていたので、たまに放送のことも書いていました。ま、内輪向きの文章が多いので、ここにはたまにしか載せませんでしたが。いずれにしても定年退職しちゃったので、今後はこのテー…
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#仕事

どうやれば今の若手社員を動かせるか?──H君との長話

ルーティンに追われ新しいことを始めない若手社員たち僕は大阪の放送局MBSを退職して2年近くなりますが、先日、久しぶりに昔の部下であるH君が会いに来ました。 正確には、上京する彼に合わせて僕が東京支社にのこのこ出かけて行ったわけですが。 H君は昨年から仕事の傍ら大学院に入って勉強しており、そもそもはその修士論文を書くために少し昔の話を聞かせてほしいとのことだったのですが、会って話をしてみるとそんな単純なことではなく、もっと根の深い話でした。 彼はそもそも最近の若手社員た

昔を思い出して、配信の権利クリアの仕事について、ちょっと書いてみました。

権利クリアの現状僕が放送局に勤めていた最後の十数年はテレビとインターネットを繋ぐことに心血を注いでいました。そして、最後の数年はテレビ番組の配信が本格的に始まり、まさに配信にまつわる実務をやっていました。 当時の僕の担務はやや古いテレビ番組の配信の権利クリア等々で、これには結構面倒なことがたくさんありました。 今ではいろいろな法律も整備され、いくつか組織も立ち上がり、ルールも確立し、手順もルーティン化して随分楽になってきたと思います。 所謂「見逃し配信」(このネーミン

生まれるのがもう 15年遅かったら──インターネットとの関わりを振り返って

僕も随分年を取ってしまったが、だからと言って高校時代に戻りたいとか、社会人一年目からもう一度やりなおしたいなどとは思ったことはない。むしろ、もう一回やるなんてまっぴらごめんである。 ただ、「自分が生まれるのがもう 15年ぐらい遅かったらなあ」とは思う。それは「自分が今、もうちょっと若かったら」という思いとは全く異質のものである。 それは今ある環境にもっと若い年齢で対応したいということではなく、かつてあった環境にもうちょっと若い年齢で対処できていたら、という果たせぬ願望だ。

コンピュータはいつになったら人間の賢いお友だちになれるんでしょうね

いよいよ AI が勝手に絵を描く時代がやってきましたね。 僕も MEMEPLEX というサイトで少し試してみたのですが、日本語でいろいろ設定してやると、それにふさわしい画を描いてくれます。例えば、これは僕が「老人が映画館で映画を見ている画像」という題名を決めて、作風などをいろいろ設定してやったら出てきた画像です。 AI が描いた絵には著作権は発生しないとのことですから、どうぞ勝手にコピペしたり改変したりしてみてください(笑) 僕はこのサイトで他にも少し試してみましたし、

静かに見守って、潔く去る

長らく仕事をして、だんだん年を取ってくると、「ああ、もう俺の出る幕じゃないな。俺はお呼びでないんだ」と感じる時がやってくる。 僕の場合で言うと、放送局に務めながら僕自身は放送コンテンツにほとんど何の貢献も功績も残してこれなかったが、サラリーマンの最後十数年間については放送とインターネットの融合連携を一生懸命社内で唱えてきた。 当時は「インターネットはテレビの敵だ」みたいな間違った認識の先輩たちが多かった中で、僕は「テレビかネットかと言う二項対立、二律背反、二者択一みたいな

twitter アカウント『情熱大陸』と「ほなね君」の始まり

O君の退職3月いっぱいで、twitter アカウント「ほなね爺」の生みの親みたいな奴が会社を辞めます。 O君という人で、メディア局インターネット・モバイル部時代の僕の部下でした。当時は『情熱大陸』の Web担当をしていました。 O君は単に『情熱大陸』のホームページを作って毎週更新していただけではなく、いち早くそれをブログ形式のものに改めたり、番組本編とは別のコンテンツを展開したり、ポッドキャストをやってみたりと、とても進取の気質に溢れた男でした。 そんな O君がある日僕

会社の facebookグループの行方とそれに代わるもの

会社で facebook のプライベート・グループを運営しています。facebook をやっていない方は「プライベート」の意味が分からないかもしれませんが、メンバー以外には公開されていないという意味で、ここではメンバー=社員です。 これはそもそも社内で所属や年齢や役職やキャリアを超えたところで自由な議論をしようという思惑で作ったものでした。 ところが残念なことに、facebook にはあまり若手社員が寄り付きません。上司と繋がってしまうことを嫌うのも分からないでもないです

「視聴率とは何か?」とカッコつけて教えられて ~約40年前の新人研修で思ったこと、思い直したこと・その1

僕が大阪の放送局に入社したのは昭和の末期、大雑把に言って40年ほど前です。そんな大昔なのに、新人研修中に聞いた話ややったことなどでいまだに憶えていることがいくつかあります。 中にはすごくためになって、人生の指針と呼んでも良いほどのものになったこともあるにはあるのですが、逆に後から考えたらあれは何だったんだろう?みたいなことも少なくありません。 ここではむしろそういうことを何回かに亘って書いて行きたいと思います。いや、なに、反面教師だって立派な教師ですから。と言うか、すべて

テレビ局の採用は昔みたいに一般企業が終わってからで良いんじゃないかという話

今の就活生は本当に気の毒だと思います。だって、大学3年になるかならないかのうちに就活が始まっちゃうわけでしょ? どう考えてもそれって早すぎません? 「お前らの時代のことなんて知らんよ」って言われそうですが、私の大学時代は、動き出すのは4年生の夏からでした。就職試験解禁になるのが10月で、もちろんその少し前に曖昧な表現で「内々定」「内定」は伝えられましたが、本決まりになるのは秋でした。 しかも、私が受けたテレビやラジオの業界はどこも11月に入ってからの試験で、つまりは一般企

不要不急の新しい届け方

報道志望の人はどうだったのか知りませんが、私の場合は言わば“不要不急のこと”を仕事にしたくてテレビ局に入社したので、昨今の情況には大変つらいものがあります。 在宅率が高くなって視聴率が少し上昇するという現象も確かにあるにはあるのですが、最初は中国の下請けに大きな部分を発注しているアニメの放送素材が間に合わなくなるという事態が起こり、そして、いつしか日本でもドラマの撮影を延期しなければならないところまで来てしまいました。 我々はマスを相手にした商売をしていますが、そのコンテ