山本英治 AKA ほなね爺

毎日放送で働いてました。今はただの爺です。 なんか変なもんが好き、なんの変哲もないもの…

山本英治 AKA ほなね爺

毎日放送で働いてました。今はただの爺です。 なんか変なもんが好き、なんの変哲もないものも好き。 モットーは「我悩む、故に我あり」 http://trivial.way-nifty.com/trivialities/ https://x.com/honane

マガジン

  • 放送とインターネット

    放送局に勤めていたので、たまに放送のことも書いていました。ま、内輪向きの文章が多いので、ここにはたまにしか載せませんでしたが。いずれにしても定年退職しちゃったので、今後はこのテーマではあまり書かない(書けない)と思います。

  • 小説とかドラマとか映画とか

    他のマガジンに含めていた映画評や書評などを抜き出してここに独立させました。

  • 君はいつごろミュージックシーンに登場したか

    人生と音楽の関わり合いについて書いています。

  • ことばと生き方──ことばに対するこだわり

    若い頃から「ことば」というものに興味があり、2001年から2018年まで“ことばのWeb”を主宰していた流れで書いた文章を集めています。

  • 自叙伝──僕はこんなことを考えながら育って、生きてきました

    自分が小さかったころから思春期を経て、大人になるまでにいろいろ考えてきて、大げさにいうと生きる指針みたいなものになったことについて書いています。

記事一覧

著作権法をめぐるすっきりしない思い

この記事は「自分のブログに映画の場面写真を勝手に貼るのは著作権法違反だからやめましょう」という記事ではありません。「なんか、もっと明確な新しいルールを策定できな…

ミュージシャンたちの引退に寄せて

先日チューリップのラストツアーの模様が NHK で放送されていました。サザンオールスターズが9月に最後の夏フェスに出演するとの報道もありました。 ああ、みんなそんな…

意味や用法が変わってきている日本語を集めてみました

時代とともにことばは変わって行くものです。それが証拠に、古典文学を読んでも古語辞典を使わないと意味が分からないでしょ(笑) ただ、それほど長い期間であれば、こと…

「小説とか読む意味ってなんですか?」という問いに答える

先日、知人(とても有名な人です)がある若い人に と訊かれたという話を facebook に書いていたのですが、それを読んで、僕はかなり驚いてしまいました。 ひとつは とい…

年取ってからこんな風に語りたいなと思うこと

自分が年を取ってきて初めて気づいたことなので、年を取っていない皆さんには想像できないかなとは思うのですが、人間、年を取ってくると、これまでの自分の人生で得てきた…

ほんとの写真じゃない、ほんとのドラマじゃない

ほんとの写真じゃない昔、僕の撮った写真を見たある人に、「でも、こういうのは、ほんとは写真とは言わないんだよね」と言われたことがあります。 彼としては思ったこと…

映画『劇場版モノノ怪 唐傘』と『めくらやなぎと眠る女』

映画評については、僕は自分のブログにだけ掲載していて、ここ note には何かのお題に応募するとき以外は上げないのですが、最近書いた2つの映画評(僕は「感想文」ではな…

関西人は常に話にオチを求める?

上野詩織さんの記事『「え?なんで今その話したん?」関西と関東の微妙なズレ』を読んで以来、自分に当てはめると、確かに概ね納得するんですが一部に違和感もあって、ずっ…

トランプ前大統領に仮定法を見た

ニュース映像でトランプ前大統領が と言うのを聞いて、「あ、これは高校時代の英語の授業で習った仮定法過去完了ではないか!」と思ったのは多分僕だけではないでしょう。…

「月9」は「げつく」か「げっく」か?

今クールの CX(月)21:00 のドラマ『海のはじまり』、まだ3話が終わったばかりですが、⽣⽅美久さんの脚本がとにかく素晴らしく、キレッキレの台詞てんこ盛りで、思いっ…

『三体』における「テキーラ(殺すため)」の謎──速い英語に慣れる

前に「外国語のドラマや映画の字幕って時々間違っていたりしますよね」という話を書きました: その時には書きませんでしたが、しかし、字幕の翻訳って実際かなり難しいん…

「板に焼く」文化の終焉──ソニーグループの光ディスク生産終了に思う

ソニーグループがブルーレイディスクなどの光ディスクの生産を段階的に縮小させ、終了させるとの報道にいささかショックを受けています。 そうか、ブルーレイディスクが売…

『九十歳。何がめでたい』という表記について考えた

先日、映画『九十歳。何がめでたい』を観ました。昨年 100歳を迎えた作家・佐藤愛子を昨年 90歳をに達した草笛光子が好演しています。 とても良い映画でしたが、今回は映…

一、十、百、千、十千、百千、一万…に変えませんか?

7月3日から新札が発行されると聞いて思い出しました。新札発行に合わせてデノミをやろうなんて議論が昔あったなあ、と。 そう、デノミ──デノミネーションの略です。最…

面白くない映画を観てしまうのは「失敗」であり「無駄」なのか?

年を取ってしまった今、若者との価値観や感じ方の違いについていろいろ考えます。例えば『映画を早送りで観る人たち』を読んだ際にも書きましたように、 ネタバレを読んで…

こんな昔の、しかもほとんどスキもついていない投稿をスキしてくれた人がいる。自分で読み返すまでこんなこと書いたことさえすっかり忘れてた。でも、ええこと書いとるがな、と思う(笑)
https://note.com/yama_eigh3/n/n25ca79cbb9b7

著作権法をめぐるすっきりしない思い

この記事は「自分のブログに映画の場面写真を勝手に貼るのは著作権法違反だからやめましょう」という記事ではありません。「なんか、もっと明確な新しいルールを策定できないものか」という嘆きです。 映画の鑑賞記事の横にその映画の一場面の写真が添えてあるというのは我々がしょっちゅう目にする光景です。 でも、映画会社の許諾を得てやっているのでない限り(あるいは権利者が権利フリーを謳っているのでない限り)、それは明らかに著作権法違反です。違反だと知らずにやっている人もいるでしょうし、知り

ミュージシャンたちの引退に寄せて

先日チューリップのラストツアーの模様が NHK で放送されていました。サザンオールスターズが9月に最後の夏フェスに出演するとの報道もありました。 ああ、みんなそんな年になったのか、と言うか、無事にその年齢に達したんだ!と感慨無量です。 僕は中学に入った年にラジオを買ってもらって、当時の深夜放送や土日の番組でいろんな音楽を聴くようになり、同じ年に自分のギターを手に入れて当時のフォーク・シンガーたちの真似ごとを始めました。それが僕が「ミュージックシーンに登場した」年です。

意味や用法が変わってきている日本語を集めてみました

時代とともにことばは変わって行くものです。それが証拠に、古典文学を読んでも古語辞典を使わないと意味が分からないでしょ(笑) ただ、それほど長い期間であれば、ことばの変遷に寛容になれるのですが、自分が生まれてから死ぬまでの短い時間にことばが変わってきて、自分が親しんできた意味や読み方や使い方から外れてくるのは正直気持ちが悪いもので、僕もそんなことを note にも何度か書きました。 でも、それは仕方がないことであり、逆にそこがことばというものの面白いところであり、自分が生き

「小説とか読む意味ってなんですか?」という問いに答える

先日、知人(とても有名な人です)がある若い人に と訊かれたという話を facebook に書いていたのですが、それを読んで、僕はかなり驚いてしまいました。 ひとつは という驚きであり、もうひとつは という驚きです。 僕は読む本の大半が小説です。直近の50冊を調べると29冊が小説でした。評論も結構読んでいます。でも、それらは読む前から何かの意味があって、あるいは何かはっきりした効果を求めて読んだわけではありません。 もちろん何かのために何かを読むこともあります。

年取ってからこんな風に語りたいなと思うこと

自分が年を取ってきて初めて気づいたことなので、年を取っていない皆さんには想像できないかなとは思うのですが、人間、年を取ってくると、これまでの自分の人生で得てきたいろんなことを若い人たちに教えたくなる、と言うか、なんか、お土産置いて帰りたいみたいな気持ちになるんですよね。 皆が皆ではないかもしれませんが、結構多くの老人に共通するんじゃないでしょうか。 決して若い人たちに向かって、「お前らは全然ダメだ。根本的に間違ってる。俺が教えてやるから、俺の言う通りにやってみろ!」なんて

ほんとの写真じゃない、ほんとのドラマじゃない

ほんとの写真じゃない昔、僕の撮った写真を見たある人に、「でも、こういうのは、ほんとは写真とは言わないんだよね」と言われたことがあります。 彼としては思ったことをポロッと言っちゃった感じで、悪気は全くなかったんだと思います。「こんなもんは」とは言いませんでしたから(笑) 一方、それを聞いた僕がムッとしたかと言うとそれも全くなくて、「ああ、なるほど、写真好きの人にとってはそうなんだろうな」と思いました。 どこが「ほんとは写真じゃない」のかと言うと、それは一旦撮影した後でい

映画『劇場版モノノ怪 唐傘』と『めくらやなぎと眠る女』

映画評については、僕は自分のブログにだけ掲載していて、ここ note には何かのお題に応募するとき以外は上げないのですが、最近書いた2つの映画評(僕は「感想文」ではなく「評」だと思っています)が、映画の見方等に関して今まで note に書き散らしてきたことと密接に通じ合っている気がしたので、ちょっとここにも併載してみることにしました。 以下がその2つです: 映画『劇場版モノノ怪 唐傘』映画『劇場版モノノ怪 唐傘』を観てきた。 テレビでシリーズ化されていた番組の映画化とい

関西人は常に話にオチを求める?

上野詩織さんの記事『「え?なんで今その話したん?」関西と関東の微妙なズレ』を読んで以来、自分に当てはめると、確かに概ね納得するんですが一部に違和感もあって、ずっと考えていました。 結論から言うと、僕も大阪で生まれて大阪で育ち、26歳までは途切れることなくずっと大阪府在住でしたが、でも、僕の場合は(年齢が随分違うからかもしれませんが)上野さんとちょっと違うなという気がします。 どう違うかについていろいろ考えてみて、漸く少しまとまったので書いてみたいと思います: 上野さんは

トランプ前大統領に仮定法を見た

ニュース映像でトランプ前大統領が と言うのを聞いて、「あ、これは高校時代の英語の授業で習った仮定法過去完了ではないか!」と思ったのは多分僕だけではないでしょう。 なんか、嬉しくなりませんでした? 高校の授業で習った際には、とにかく日本人にとっては甚だ面妖な構造に驚いて、 とまで思ったほどでした。 でも、いろいろな形で英語と接する機会が増えてみると、実際仮定法というのは会話においてもかなり使われるのだということを知りました。 ただ、日常会話においては、大抵は条件節(

「月9」は「げつく」か「げっく」か?

今クールの CX(月)21:00 のドラマ『海のはじまり』、まだ3話が終わったばかりですが、⽣⽅美久さんの脚本がとにかく素晴らしく、キレッキレの台詞てんこ盛りで、思いっきり切なくて、考えさせられる作品になっていると思います。 ところで、皆さん、フジテレビの月曜夜9時のドラマ枠、通称「月9」を何と読んでいますか? 多分ほとんどの方が「げつく」と読んでますよね? 僕はそれが気持ち悪くて仕方がないのです。 所謂トレンディ・ドラマ路線であの時間帯のドラマがヒットを連発するようにな

『三体』における「テキーラ(殺すため)」の謎──速い英語に慣れる

前に「外国語のドラマや映画の字幕って時々間違っていたりしますよね」という話を書きました: その時には書きませんでしたが、しかし、字幕の翻訳って実際かなり難しいんだと思います。何故なら、基本的に登場人物がその台詞を喋っている間に読める分量の日本語に訳す必要があるわけですから。 前回書いた例で言うと、訳者としては「日本人にフラットホワイトなんて言っても多分何のことか分からないだろうな」と思っていても、ドラマの中で登場人物がコーヒーを注文する一瞬の台詞に長い説明文の字幕を出すわ

「板に焼く」文化の終焉──ソニーグループの光ディスク生産終了に思う

ソニーグループがブルーレイディスクなどの光ディスクの生産を段階的に縮小させ、終了させるとの報道にいささかショックを受けています。 そうか、ブルーレイディスクが売れない時代になったのか、"板に焼く"文化の終焉なんだな、と思いました。 なにしろ僕らは中学生時代にカセットテープにテレビの生音をマイクで(つまり、コードに接続せず、っちゅうか接続端子もなかったし)録音するところから音楽体験をスタートした世代ですからね。 当然周囲の音も拾ってしまうので、「ちょっと、お母ちゃん、暫く

『九十歳。何がめでたい』という表記について考えた

先日、映画『九十歳。何がめでたい』を観ました。昨年 100歳を迎えた作家・佐藤愛子を昨年 90歳をに達した草笛光子が好演しています。 とても良い映画でしたが、今回は映画の中身についてではなく、映画(かつ原作のエッセイ集)のタイトルについて思うところがあって書きました。 マル(。)は打たないそれまで僕は佐藤愛子の本を読んだこともなかったのですが、そのタイトルを見てさすがに佐藤愛子は昭和の大作家だなと思いました。 表題には句点(。)を打たないのです。 いやいや、「九十歳」

一、十、百、千、十千、百千、一万…に変えませんか?

7月3日から新札が発行されると聞いて思い出しました。新札発行に合わせてデノミをやろうなんて議論が昔あったなあ、と。 そう、デノミ──デノミネーションの略です。最近では全く聞かないですが、かつてはインフレ対策の一環として(?)、デノミネーションの必要性がしきりに議論されたことがあったのです。 デノミネーションと言うのは、 例えば 100円を百分の一にして新1円とします(この場合従来の 50円は例えば昔使っていた単位を持ってきて 50銭とするなど、新しい単位が必要になります)

面白くない映画を観てしまうのは「失敗」であり「無駄」なのか?

年を取ってしまった今、若者との価値観や感じ方の違いについていろいろ考えます。例えば『映画を早送りで観る人たち』を読んだ際にも書きましたように、 ネタバレを読んでから映画を観に行くというような行動は、僕には信じられないものだったわけです。 彼らが言うには、とにかく「失敗したくないから」「つまらないものを観て時間を無駄にしたくないから」とのこと。 じゃあ、僕らの世代、と言うか、僕はどうしてそういうことをしないんだろうかと考えてみました。 もちろん僕だってハズレは掴みたくな

こんな昔の、しかもほとんどスキもついていない投稿をスキしてくれた人がいる。自分で読み返すまでこんなこと書いたことさえすっかり忘れてた。でも、ええこと書いとるがな、と思う(笑) https://note.com/yama_eigh3/n/n25ca79cbb9b7