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芸術鑑賞、印象派から、現代アートへ

先日島根県立美術館の「ポーラ美術館コレクション展」に行ってきた。

印象派のモネをはじめ、彼に影響を与えた画家や、その後の芸術の動きを追える展示だった。

島根県立美術館は宍道湖のすぐ隣にある。
宍道湖では、水平線に沈む夕日が有名で、この美術館の閉館時間が「日没後30分後」になっているのも面白い。
そんな美術館で、モネの「セーヌ川の日没、冬」はが見れたのが大きかったと思う。
セーヌ川の夕日を宍道湖の夕日に重ねて見ることもできるし、モネの画風から、そこにあるもの、というよりは、その色彩を比較して見ることが出来て、面白かった。

福岡市立美術館で「モネ展」を、福岡県立美術館では「印象派展」も見に行ったが、今回の展示では、さらにその先、ポスト印象派から、キュビスムのピカソの作品にまで触れることができた。

何を描くか、から、どう描くか、そして現代の、描くということの意味、など、芸術性を何に見出すか、という視点は、新たなものが生まれるたびに古参からは否定され、しかし、その動きに追従し、新たに自分の作風を模索する者の活動で、後に受け継がれていく。
ピカソと共にキュビスムを創始したブラックも、初めてピカソの絵を見た時は批判したそうな。

僕は演劇をしていて、こういったアートの歴史を演劇にも当てはめて考えてみる。
最近では、演劇では新たなものが日々生まれ、それを若手が真似たりするといったことはよくあるが、それぞれに名前が付けられ、共に活動していく、といったことはあまり起こっていない気がする。

僕が生まれる前の演劇ブーム、新劇やアングラと呼ばれた活動がこれに当たるのかもしれない。
最近では、ポストドラマ演劇とか、あるいは岡田利規さんのコンセプション、という単語がキーワードだろうか。

自分が何をしているのか、何の影響を受けているのか、模倣なのか、オリジナルなのか、そういったことを意識して作品を作ることは、表現者が、自分を、現代社会の中で自由な表現していくことへの助けになると、今回の展示でアートの歴史を見ていく中で思ったのであった。

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