セブ島・スーパー台風22号 サバイバル能力なし家族が被災:記録編

はじめに、2021年台風22号(フィリピン名・オデット)では、今もなお停電や断水が続いている地域があり、被災・避難生活が続いている人がたくさんいます。未だ復興の途中であることを念頭に読み進めていただければ幸いです。

今回は、このnoteが今後の防災、特にフィリピンをはじめ東南アジアで暮らしている方々のヒントになれば良いと思い書いています。

今後、備蓄編として実際にあると良いなと思うものを公開したいと思います。

私たち家族について

40代夫婦・子供2人の4人家族。フィリピン・セブ在住歴は約4年です。2011.3.11東日本大震災時は、夫婦ともに東京にいました。今回はそれ以来の大きな自然災害の経験となります。住まいは、セブ市の中級(?)コンドミニアムの20階。家族みんなインドア派で、サバイバル能力&体力なしの私たちが被災した記録です。


・コンドミニアムが揺れる

台風がいつもの台風とは違う強いものだと気づいたのは、雨の強さでも風の音でもなく、コンドミニアムの「揺れ」でした。台風襲来当日、子供たちは寝る準備を始めたところ。「あれ? 地震?」と揺れに気づいたのが夜7:30ごろ。揺れがいつまでも収まらず、ずっと揺れ続けていることで初めて「台風によるものだ!!」と理解。約4年同じコンドミニアムに住んでいますが、強風での揺れを感じたことは一度もありません。少ししたら収まるかなと考えましたが、子供たちが怖がり始めたので急いでロビーへ逃げる準備をしました。揺れが断続的に続くので危険を感じながら、貴重品と簡単な食料・水、着替えなどを持ってロビーへ。非常階段でロビー階まで降りました。避難途中、別棟では窓のガラスが割れ、強風が吹き込んでいる部屋の中で呆然としている人たちが見え、それを見て「ただ事ではない」とようやく認識しました。


・スーパー台風への注意喚起がそれほどでもなかった

日本ではスーパー台風が近づくと、数日前から注意喚起がマスコミを中心にされると思いますが、私の知る限りフィリピン・セブではそれほどでもありませんでした。

当日にエリアメールによる注意喚起を数通受け取りました

2021年12月16日(木)台風当日に受信したエリアメール

AM6:05 Signal3 発令
PM2:38 高潮への警告
PM5:26 Red Rainfall Warning
PM5:45 Signal4 発令

筆者のSMSで受信した記録による

飲食店・商業施設のいくつかは早めに営業終了して従業員を帰していました。当日の朝から台風に備えるような状態ではありませんでした。プラスしてセブ島は約30年、台風の直撃がなかった島で自然災害が他の島に比べて少ないと言われてきたということも付け加えておきます。

・スーパー台風のスピード

とにかく気づいたら最強の台風の中にいました。徐々に風雨が強まるという私のイメージを大きく覆すものでした。前もって避難する重要性を身を以て体感しました。


・台風が過ぎた後の方が大変

台風通過中、私たちは風雨がしのげる安全な場所に避難していました。部屋も窓側一箇所から浸水が少しあった程度で、部屋の被害自体は全くありませんでした。それゆえにライフラインの復旧に時間がかかり、停電&断水生活を強いられる台風後の方がよほど大変に感じました。


・発電機があるところもガソリン不足や故障で動かなくなる

基本的にコンドミニアムには発電機が備えられていて、停電でも電気が供給される仕組みです。発電機でどこまでカバーされるかは契約や設備によります。私が住むコンドは通常であれば、共用部だけでなく部屋全ての電気がまかなわれますが、台風通過後は発電機の長時間使用による不調と、ガソリン不足により停電や断水することになりました。


・私が住んでいたコンドの電気&水の記録

12/16 電気・水あり(台風当日・周囲は夕方の時点で停電)
12/17 電気・水あり
12/18 14:00に発電機ダウン・水あり
12/19 電気・水なし
12/20 電気なし・水は朝のみ
12/21 電気・水なし
12/22 計画停電・水は午後に復活
12/23 計画停電・水あり
12/24 計画停電・水あり
12/25 計画停電・水あり
12/26 計画停電・水あり
12/27 計画停電・水あり
12/28 計画停電・水あり
12/29 計画停電・水あり
12/30 通電・水あり

周囲では水・電気にほぼ支障がなくずっと使えたというところから、台風後から停電&断水がずっと続いたというコンドまで様々だったようです。停電中は当然エレベーターも使えません。20階を昇り降りするのは大変でしたが、年齢や障害などによっては大変では済まない状況になると思うので、改めて「もしエレベーターが使えなくなっても大丈夫か?」ということを考えて住居は選ぶべきだと実感しました。


・一軒家の場合はどうだったのか? 

発電機を備えているか否かは各家庭次第です。私の近所にはお手伝いさんやドライバーなどのスタッフを何人も抱えているような豪邸が2軒あるのですが、発電機の使用により台風後どちらも一度も停電していません。水も電気があるのでくみ上げることが可能で、近所の人に蛇口を開放していましたし、飲み水に関してはガロンどころか小さな給水タンク車のようなものまで登場し、フィリピン富裕層のすごさを改めて実感しました。


・行列していたもの

ATM&銀行
充電ステーション
ガソリンスタンド
給水所&ウォーターステーション

モールを含め営業している飲食店にも人が集まっていたと思います。いくつかの飲食店は過去最高の売上をあげたとSNSで報告しているところもありました。


・水は想像より必要

webを調べると、水は1人あたり1日3リットル必要と書かれていました。普段あまり水を飲まない私はそんなに必要?と半信半疑でしたが、停電でクーラーが使えず、かつ災害時で緊張している時には喉がいつもより乾き、気づくと3リットルは消費していました。冷房が使える場合は別ですが、ジュース類なども結局ノドが乾くので「水がなければジュースを飲めばいい」ということはどうしてもという場合にした方が良さそう。無糖のお茶やコーヒーは気分転換によく飲んでいました。カップ麺など料理をする場合は、これにさらに水が必要になります。

手洗い、食器洗い、シャワー、トイレ、洗濯などに必要な生活用水も想像以上に必要です。トイレを流すには、実際4リットルほどの水が必要でした。


・通信状況

台風当日の20時ごろから数時間通信状況が悪くなり、時々使えたり全然つながらなかったりという状況を被災から3週間経った現時点でも繰り返しています(エリアによる)。SMARTは繋がるのにGlobeは繋がらないなど通信会社によっても違ったので、通じると言われる会社のSIMを求める人も多かったようです。DITOは数日使えず、GOMOは時々使えました。Skyは台風後使えなくなり、現時点(1月5日)で未だに使えません。


・使えたSNS

facebookのMessengerは他のアプリなどが使えない中で、時間はかかるものの送れる時がありました。日本に連絡する際、当初Slackは使えなかったのでMessengerを利用しました。Twitter、Instagram、Slackなどはプッシュ通知は来るものの返信はできない&TLは読み込めないという状態が2~3日続きました。


・軍は出動しない?

フィリピンには軍隊があるので、私はてっきり自然災害時にはすぐに軍隊が出動し助けてくれるのかと思っていました。日本だと災害時には自衛隊が給水車や片付け、炊き出し、時にはお風呂まで出して住民を助けますよね? もしかしたらどこかで活躍しているのかもしれませんが、街で災害救助に乗り出している軍隊を見ることはありませんし、ニュースも聞きません。


・転売ヤーの暗躍

ガソリンスタンドの行列や、ミネラルウォーターが買えなかった裏には転売ヤーの存在があります。数日たってから行政も対策に乗り出し、購買に制限を設け、ガソリンやミネラルウォーター、発電機などを法外な価格で売った人たちは逮捕されていました。


・食事について

最初の数日は、冷蔵庫のストックをできるだけ消費しようと頑張りましたが消費しきれないと思ったのでコンドのスタッフへ全てあげました。水&電気に不安のある状況では調理する気にはなれなかったです。結局、徒歩範囲のレストランが冷房、充電、弱いけれどwifiを提供してくれたので、計画停電になる昼間~夕方は家族でそこで過ごすというのが日課に。そのほか、近所ではジョリビーなどのファストフード店もメニュー限定(スパゲティとチキンのみ!)で営業を続けていました。一部のカレンデリアも営業していて、燃料がなく調理ができない人々が朝昼晩になると行列していました。


・ホテルについて

台風後、停電&断水から逃げるためにホテルを探した人も多くいましたが、ホテル自体もダメージを受けたところが多く、ほとんどのホテルが既に滞在している人をのぞき、新規の予約や宿泊客の受付や延泊などは停止されていました。Airbnbなども同じです。1月になりいくつかのホテルが新規ゲストを受付始めました。被災して自宅の修復が必要になった人も多く、数週間〜数ヶ月単位ですぐに借りられるコンドミニアムを探す人も多くいるようです。実際、私たちが住むコンドはコロナ以降、住民はかなり減っていましたが、通電以降は毎日のように引っ越してくる人たちを見かけます

・別の島への避難について

台風後、マニラやセブ島北にあるバンタヤンに避難する人たちもいました。ただクリスマス休暇で元々人の流れが多い時期であったこともあるのか、航空券が高いものしかなかったり、飛行場やフェリーで待たされたりと避難した人たちもそれぞれご苦労があったようです

読んでいただき、ありがとうございます。備蓄編に続きます。


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