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ネガティブな気持ちになった経験談以外のことを書いてみる?

私がnoteに何かを書く意欲が湧く時はたいてい、悲しかったとか悔しかったとかムカついたとか傷ついたとかモヤモヤしたとか・・そういうネガティブな感情に襲われて気持ちの整理がついてきたタイミングであることが多い。

現在はnoteだけど、思い返せばなんと20年前くらいから10年くらい前まではそれはfacebookで行なっていた。あの頃は、気持ちの整理がついてきたタイミングになる前に書いていたという点で、noteの使い方とは少し異なる。もっとネガティブな感情が熱い時に吐き出すように書いていた気がする。そしてしばらくして落ち着いた時に恥ずかしくなって消すの繰り返しを不甲斐なくやっていた。1人で紙にでも書き出して捨ててしまうという方法もあるだろうけど、そうではなくてやはり誰かにこの悲しくて悔しくて痛くてどうしようもない気持ちを共感してもらいたくてそうすることで痛みを癒したり冷静さを取り戻したりする作業をしていたのだと思う。

そのうち、連絡先交換がわりにFB交換をするという微妙な出来事が増え始めた。
徐々に微妙な知り合いからの友達申請が届くようになった。
個人事業主として最初に始めた仕事であるヨガインストラクターの頃に業務委託契約で在籍したヨガスタジオでは、連絡手段としてFBが利用されていたため自分のアカウントを会社に知らせなければならなかった(新たにアカウントを作っても良かったのだけどついその場の流れですぐに自分のアカウントを教えてしまった・・・)。そして、messengerでインストラクター全員のグループチャットに入らねばならない自体になった。

そうなると、私のネガティブな感情はどう処理すればよいのだろうか??

となったのだけど、その頃には私は人生経験から少し学びを得ていた。ネガティブな感情を吐き出す場がなくとも消化吸収できる心身へと少しだけ改良されていた。

とはいえ、人生いいことばかりではないし臭いものに蓋して歩くのは性に合わない。気にしないふりをしてみても、心はダメージを喰らっているし蓋して歩き切れたとしてもそれができる自分はあまり好きではない。

なので、自分の中でネガティブな感情になった出来事に端を発し、色々と思いを巡らし、それをnoteに書き出すパターンが生まれた。

noteのアカウントを開設したのはこういうことを書く目的ではなかったのだけれど、、結局、こういう使い方になるのであれば目的に縛られず、目的変更しようという気持ちにようやくなったのが今年。

そして、そろそろ嬉しかったこととか感動したこととか幸せな気持ちになったこととか平穏な生活の中から何かをピックアップするとか素直に感謝できたこととか、そういうことを意識的に書いてみることをしようかなとふと思い立った、いや、今年になってじわじわ思い始めていてようやく今この地点に到達した気がする。

思い始めたのはもう少し前だったのかもしれないけど、じわじわ沁み出てきたのが今年、そして滲み出てきたものが溜まり始め形になろうとしているのが今という感じだろうか。

きっかけは、一人息子が幼い頃特有のつたなさと神秘がかった純粋な発想から発せられるキラキラした言葉につどつど感動して、この言葉と状況と感動をずっと覚えておきたいと思いながらも忘れまくっている自分に気づき、じゃあその瞬間を録画・・は不可能だしメモに残しておこうと思っても目の前に目を離せない幼子がいる状況でメモするタイミングを得ることは容易ではなく、そんなこんなで2年3年と経ち、ついに息子はまだ神秘がかった天使感のある幼児から、完全なる人間の少年へと変化し始めている。つまりどこかで、この幼児期特有の可愛さ美しさ優しさつたなさが詰まった言葉を受け止めては溢してきたことに悔やむ気持ちがあるのだ。

それとなぜだか、私自身、ネガティブな話を見聞きすることへの耐性がなくなっていることをここ1年ほどで猛烈に感じるようになった。それまではなんだか興味深く聞けていたような気がするけれど・・それはなぜだったのだろうか😅

ということで、

刺激的ではなく優しくてさりげなくて柔らかくて穏やかでささやかで貴重な幸福にフォーカスを当てた生き方をこれからはしていこうと、

意識的ではなく腹の底から滲み出るかのようにそんな感情が出てきてシフトチェンジを図ろうとしている今日この頃です。


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