引き続き疲労についての話になる。 今日も疲弊している。 幸せの国フィンランドでは、16時までにみんなさっさと退社するらしい。 長い事勤めていた街のゴミ屋さんは、15時が定時退社だった。 生活にめちゃくちゃ余裕があった。 朝の気分も違う。 職場に行ったら逆に元気になって帰ってきた。 色んなタイミングが合わさった、偶然の現象だったのかもしれない。 今は疲弊を強く感じる。 特に仕事にいく前。この重苦しい感じ。ああ嫌だなあと。 これは幸福感を下げる事に直結すると思
何か書こうと考えることがまずあって、そこから実際にペンを持つなりパソコンを立ち上げるなりして書くことになる。 筋トレじゃないけど、この様な駄文でも毎日書いていると、書かない事が気持ち悪くなってくる。 自分からアウトプットしたくなってくるのである。 今の社会はありがたいことにインターネットの大海があり、そこに己の精神的排泄物を放出する事ができる。 筋トレ同様に、やって損な事はないと思うし、むしろ何かしらやっていないと、ヤバいと思う。 特に私の様な純粋な労働力を提供して
とにかく投稿し続ける。 昨日心に余裕が無いと書いたが、昔から心に余裕が無かった。 そうすると色々と上手くいかなり、ドツボにはまるものである。 色んなドツボにハマった結果、今がある。 白旗を上げたい所である。 連日の猛暑のせいか、ただただ体がダルく、きつい。今も少し頭が痛い。夕方まで働くって当たり前なんだけど、本当に大変だ。何も考える余裕は無い。残業している人なんか凄すぎる。信じられない。 今まで15時上がりのユルユルとした職場で働いていたツケだろうか。 疲弊中で
心の余裕が無い。 そんなもの持っている人は、現代人にはいないのかも知れない。 唯一、私が平穏めいたものを感じていたのは、前職で働いてた期間。 でもそれも、比較的平穏だった、という事で、やっぱり何かに追われ、おかしくなっていった。 小学校低学年ぐらいまでじゃないだろうか。何も考えずに幸せだったのは。 今は、表面上の荒波は多少落ち着きを取り戻したが、内面は混沌の渦を巻いている。 自己否定とそれに対する反発が、短い期間に繰り返され安定しない。 これが躁鬱というものなの
とある発信者の情報で「営業力」について、という回があった。 とどのつまり「営業力」とは商品ではなく、自分を売るのだ、というのが、話の骨子であったと思う。 振り返れば、私は営業力が乏しい人生だった。 大卒の仕事はゴリゴリの営業会社で、全く持って刃が立たず、3年程でお払い箱となった。 その後、いくつかの職を転々とするが、結局一番居心地が良かったのは、営業力を必要としない、市から委託のゴミ収集業会社だった。 副業の中で少しばかり目が出た転売業も、営業力をほぼ必要としないビ
先日、熱中症的症状の為、ぶっ倒れてしまい、翌日会社勤めを欠勤した。 30歳からゴミ収集の仕事に従事して以来、その様な事は初めてである。 昨年に双極性障害を発症し、躁状態に陥った。 結果、7年勤めた地元のゴミ屋を突如退社し、遠い地に引っ越す。 引越し後、徐々に鬱っぽい感じになり、また躁状態による支出で借金もあり、結局老齢の親に泣きつき、1年たってまた地元に戻ってきた。 ちなみに、その一年間は引越し先のゴミ屋で、アルバイト雇用で働いていた。 なんとかかんとかして、実家
昨日から熱中症的な症状に陥り、今日の仕事は休みとなった。 疲労回復の為、布団で横になっていた。 布団で横になり、スマホなんかをイジっていると、ふと気づくと風俗サイトを検索したりしてしまう。 オナ禁というのは射精しないのは当然として、射精に繋がる行為、即ちエロい刺激を断つ、という事である。 しかしながら、現在進行系で恥ずかしながら風俗サイト巡りの悪癖が抜けきっておらず、未だにチラチラと検索してしまう事を、ここで告白しておく。 ちなみエロ動画までいってしまうと、もうはや
オナニーをしないという事が当たり前になる。 オナニーをするかしないかモヤモヤする、という事は無くなりオナニーという行為を自体を考えなくなる。 オナニーという習慣が無くなるわけである。 そうすると、時間、気力が創出される。 その時間気力をいかに転用するか。 最適解は筋トレ。 個人的にオススメは自重トレーニング。 理由は、ジム代いらない、場所も公園、自宅でよい。どこでもいつでもできる。 それでも気力と時間が残る。 私は、それをこのノートの駄文書きに費やしてい
この10年来、ゴミ収集という仕事を生業にしている。 その大半を、一般家庭ごみを収集する会社にいた。 いわゆる街のゴミ屋さんである。 新卒で入った会社を辞め、色々あり、30才で実家に戻り、地元のゴミ屋に就職したのだ。 ゴミ屋の朝は早い。そして終わるのも早い。 15時にはタイムカードを切り会社を出ている。 休みは日曜と正月三ヶ日のみ。 休みにする事がない私にとっては、何の問題もない。 会社も良い会社だった。 それまで勤めた、新卒の大企業の会社も含めて、どの会社に
長期でオナ禁を継続していると、内からフツフツと湧き出てくるエネルギーの放出を、どの様にコントロールするかが重要となってくる。 有効な対策としては、基本的に筋トレがある。 腕立て、スクワットならばどこでもできる。懸垂バーがあればなお良い。 しかしながら、筋トレに打ち込むだけでは、昇華しきれない何かが、身の内に残る。それをどの様に昇華して行く過程に、オナ禁の真髄があるのではないかと、今の私は思っている。 その方向性は、当然各々個人によって違う。 誤った方向突き進まぬよう
私は双極性障害という診断を医師から受けている。 80日に一度精神科医に通い、毎日3種類の薬を服薬している。 この病気に完治はなく、少なくとも今後10年以上は精神科に通い続けるだろう。 中学生の時から、慢性的な抑うつ状態が始まった。当時はそんな言葉も知らない。元気一杯な同級生をながめながら、元気だなあ、と思っていた。 そのまま、万年ノイローゼの様な精神模様ではあったが、高校、大学と一応卒業し、とある会社に就職した。 しかしながら、学校と違い、会社、社会人の壁は厚く、万
オナ禁とセットにやりたい事の一つに、筋トレがある。 オナ禁と筋トレはセットみたいなもので、どちらか一方が欠けても、威力半減はなはだだしい。 筋トレと一言で言っても、色々とあるが、筆者は自重トレーニングを実践している。 ジムに行ってダンベルやバーベルを使ったトレーニングをしていた時もあったが、今は行っていない。 自重トレーニングでもやり方によって、十分な負荷を筋肉与えることが可能であり、また器具を使用した身体の一部を鍛えるトレーニングより、自重による腱や関節を含めた、身
グルジェフという作家がいる。 グルジェフの事を詳しく説明できる程、まだ彼の事を私も知らないが、まあ途方もない変人である。 その彼が書いた、「ベルゼバブの孫への話」という、広辞苑のような分厚い本の中に、実はオナ禁についての記述がある。 めちゃくちゃ要約すると、オナニーというのは人類の異常行動の一種である、という事らしい。 本来精液というのは聖なる力の源であり、高次の自分を創造する為に大変貴重な物質、との事。それをデタラメに放出する様になり、人は堕落していった、みたいな事
沖縄には無数のゲストハウスがある。 20代のひと夏を、私は沖縄のあるゲストハウスで過ごした。 そこは人種のるつぼの様であり、様々な人種がやって来ては去っていった。 普段の生活では決して交わる事のない人種が、その宿の下では魔法がかかった様に打ち解け、酒酌み交わし、時に真面目に語らいあったりした。 それまでは、世の中に溶け込めず、集団の端くれで生きていた私にとってそれは、よだれを垂らすかのような嬉しい出来事であった。 10代で置いてきた青春を取り戻すかの様に、沖縄の夏の
今日は新月である。 新月とは、何かを始めるには良い日らしい。 なので今日からオナ禁始めました、と言いたい所ではあるが、実は既にオナ禁50日目ぐらいである。 オナニー猿であったならば、今頃ネットポルノを漁り、己のちんぽをさすりながら、あの虚無しか残らない行為をしているであろう。 50日目にして色々と変わってきた事もあり、新月という事もあるので、駄文を書き記す。 今これを読んでいる御方は、大変失礼ながら、もしかしたら非モテのセックス不足の男性かもしれない。 なにを隠そ