精神の平穏

心の余裕が無い。

そんなもの持っている人は、現代人にはいないのかも知れない。

唯一、私が平穏めいたものを感じていたのは、前職で働いてた期間。

でもそれも、比較的平穏だった、という事で、やっぱり何かに追われ、おかしくなっていった。

小学校低学年ぐらいまでじゃないだろうか。何も考えずに幸せだったのは。

今は、表面上の荒波は多少落ち着きを取り戻したが、内面は混沌の渦を巻いている。

自己否定とそれに対する反発が、短い期間に繰り返され安定しない。

これが躁鬱というものなのだろうか?

普通の人は、そんな事感じないのだろうか?

関係ないけど、朝から晩まで働くって、やっぱりキツイ。幸福と不幸とかを感じる間すらない。

ただただ余裕がない。

前の職場は15時までの仕事で、朝が早いわけでもない。

そこに心の余裕が生まれた。

朝起きて、仕事に行きたくないなんて思った事は、全く無かった。実際7:30から15:00までの仕事って、体感としてはあっという間に終わる。

一日の中をゆとりを持って生活できるから、カリカリしなくて良い。

余裕が生まれる。

その余裕から仕事外で色々な事にチャレンジした。その一つに副業があって、まあまあ成功もした(最後には大失敗したわけだが)。

今は17:30で終わる仕事で、全くもって余裕が無い。

朝無理やり早起きをして、こんな駄文を書いたりしているが、そんな時も、今日一日の長い仕事が頭にあって、どんよりとした気持ちになる。

前職では無かった感覚だ。

ただ前職と今の職場で一番大きな違いは、シンプルに給料にある。

前職は仕事は楽な分、給料も薄かった。男一人、派手な生活をせずプラプラ生きる程度であれば生きていける額だった。だか嫁を娶り、子供を作り育てるには、かなり厳しい金額だ。

が故に、独身男性が多く、結婚して子供持った人の多くは職場を去っていった。

今の職場では普通に家庭を持った人がいる。もちろん決して楽ではないが、なんとかやっていけるくらいの給料を、頑張れば貰えるのだろう。

ここ最近、職場でコロナを貰い、同居している両親にうつした。私はコロナに罹りながら、無理やり職場に出勤し続け、職場での感染者はでなかったものの、その無理がたたったのか、先日ぶっ倒れてしまった。

つい先日、たまたまた近所のスーパーで前職の会社の社長と会い(その位こじんまりとした自場の会社なのだ)、いつでも戻ってきていいと、言葉をかけてくれた。

父親は前の会社に戻ったらどうか、という。

むしろ戻ってくれと。

今の余裕の無い職場では、両親にも既に負担をかけている現実がある。

あるいは、こんな下らない駄文書きその他、副業めいた思考や行動は全てストップし、眼の前の勤め人の仕事に全力投入するか。

日々是決戦。

たかだか独身独り身子供部屋おじさんの生活でも、選択の毎日である。



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