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#山尾三省の詩を歩く 12月

  冬至

冬至になると
僕たちは じつは太陽を頼りとし
太陽のおかげで生きているのだと 分からされる

もうこれ以上 暗くならない
これからはもう明るくなるばかりだ
太陽があれば
僕たちはその下で 皆で生きたり死んだりすることができる
もうこれ以上暗くならない
これからはもう 明るくなるばかりだ

一本の椎(しい)の木に 僕は語りかける
椎の木よ
あなたたちと僕たちの 今日は本当のお祝いの日だね
これ以上暗くはならない 自然生(じねんじょう)のものたちの
本当のお祝いの日だね

冬至の日になると毎年(まいねん)
今がどん底で どん底にきたから
もう大丈夫なのだと 分からされる

山尾三省『五月の風』(野草社)

今年の冬至は12月22日だそうだ。

いよいよ冬至。これからはもう明るくなるばかりだ!
この詩はただ読んでもらえれば十分なのだが、山尾三省は『ここで暮らす楽しみ』(野草社)の中で、次のようなことを書いている。
少し長くなるが、引用してみる。


 最近は一部ではずいぶん知られるようになってきたが、クリスマスという北欧起源の行事は、必ずしもイエスの生誕にのみかかわるものではなく、それ以前の古代北欧民族の祭祀に、より深い起源があるという。緯度が高いだけに陽(ひ)が乏しい北欧においては、一年のどんづまりの冬至の日は一陽来復を願う大切な祭りの日であり、常緑のモミなどの若木を切り取ってきて、その枝で親しい者同士を叩き合い、夜には御馳走を食べて、太陽の復活と一族の健康を願ってきたという。
 その習慣がキリスト教文化と混じり合って、クリスマスツリーとなりイヴの宴会になったというのだが、それはまったくそのとおりだろうとぼくは思う。

山尾三省『ここで暮らす楽しみ』(野草社)

クリスマスと冬至の関係がこの文章を読むととても納得がいく。そうか、クリスマスもアニミズムの行事が起源なんだ!
キリスト教にはあまり関心がない人が多い日本でもクリスマスがこれほど盛大に長年親しまれてきたことの背景には、季節感を大切にしてきた日本人の心に響くものであったせいかもしれない。1年で最も夜が長い日の夜に人びとが集ってご馳走を食べ、プレゼントをもらうという行事は、日本人にも馴染みやすいものだったのだろう。
私は日が短くなり始めたと感じる8月終わりから9月にかけての夕方が好きではない。
どこか不安な気持ちがやってくるからだ。
きっと、生物にとっても、植物にとっても、冬至はどんづまりの日……これからはどんどん良くなっていく日々なのだ
太陽の復活を祝って、私の幼い頃の田舎では小豆かぼちゃを食べる日だったが、併せて、チキンとワインで乾杯するのも悪くはないなと思う。

…………
山尾 春美(やまお はるみ)

1956年山形県生まれ。1979年神奈川県の特別支援学校に勤務。子ども達と10年間遊ぶ。1989年山尾三省と結婚、屋久島へ移住。雨の多さに驚きつつ、自然生活を営み、3人の子どもを育てる。2000年から2016年まで屋久島の特別支援学校訪問教育を担当、同時に「屋久の子文庫」を再開し、子ども達に選りすぐりの本を手渡すことに携わる。2001年の三省の死後、エッセイや短歌などに取り組む。三省との共著に『森の時間海の時間』『屋久島だより』(無明舎出版)がある。