見出し画像

【フリートーク】カーネルサンダースの驚愕の人生:不屈の精神で築いたフライドチキン帝国

ケンタッキーフライドチキン(KFC)は世界中で愛されていますが、その創業者カーネルサンダースの人生は、それ以上に驚きに満ちいます。

彼の本名はハーランド・デーヴィッド・サンダース。
カーネルという称号は軍隊の大佐という意味ですが、彼の場合はケンタッキー州からの名誉称号です。


多彩な職歴と数々の失敗

サンダースの人生は、10歳のときから始まる働きざかり。

農園で働きながら学校に通い、12歳で家出し、さまざまな職を転々としました。学歴は小学校卒業ですが、彼の職歴は陸軍、機関車の灰さらい、機関士、路面電車の車掌、ペンキ塗り、保険外交員、フェリー会社の経営、商工会議所の秘書、ガスランプの製造販売、タイヤのセールス、ガソリンスタンド経営など40回以上にのぼります。

この間にサンダースは3度破産しました。

最初はガスランプ製造販売事業で、電気の普及により破産。

次にガソリンスタンド経営で成功を収め始めた矢先、世界恐慌で破産。

最後は「サンダースカフェ」というレストラン事業でフライドチキンが人気を博しましたが、高速道路の建設により国道利用者が減少し、大赤字に陥りました。

不屈の精神で再起

65歳のとき、手元にはわずかな資金しか残っていませんでした。

しかし、サンダースは諦めず、美味しいフライドチキンのレシピを武器にフランチャイズビジネスを始めることを決意しました。

ちなみに当時の平均寿命は60歳前後です。

そして、レストラン経営者の友人の協力を得て、ケンタッキーフライドチキンのフランチャイズ1号店がオープンしました。

白いスーツに蝶ネクタイというトレードマークの姿で、車中泊をしながら営業を続けました。1000回以上断られましたが、持ち前の不屈の精神で諦めずに営業を続けました。

その結果、最初の1年は苦戦しましたが、翌年からは爆発的にフランチャイズが拡大しました。全米の店舗数が600を超えたとき、サンダースは74歳になっていました。

そして、90歳で生涯を終えた時には、KFCの店舗数は世界で6000を超えていました。

挑戦に年齢は関係ない

カーネルサンダースの人生を振り返ると、時代の変化や社会的要因による失敗もありましたが、彼は言い訳せずにすぐに立ち上がり、再び挑戦し続けました。

カーネルサンダースの人生は、まさに挑戦と不屈の精神の象徴です。彼の物語は、困難に直面しても諦めずに立ち向かう勇気を教えてくれました。

挑戦に遅いも早いもないんです。思い立った時、やりたいと思った時に挑戦することが大切ではないでしょうか。

#仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?