カナブンと時間
私はこないだ誕生日を迎えました。
27歳の。
こんなにも生きたのかと
途切れない時間や意識への
絶望から少しばかりの達成感を感じておりました。
夜勤明け、始発電車
化粧の崩れた女学生
行く者と帰る者を乗せて
ここ数ヶ月は早朝に寝て夕方目覚めて
夜行性の虫となり日常にへばりついております
私は夜も朝も昼も特別好きな時間は無く
どれもこれも苦手な瞬間があり
時間を意識することを避けておりますが
不意に訪れる無重力の時間が好きで、
それに心躍らせます。
時間という縛りから解き放たれるその瞬間です。
それをはじめて自覚したのは幼い頃
保育園の年長だった気がします。
昼ごはんを食べた後
物の少ないアパートの一室
レースのカーテンは網戸からの風に揺れ
日差しが影を伸ばしていました
母は昼ごはんの片付けを終えると
昼寝をしました
眠れない私
静まり返る部屋
ドアを見つめていました
まるで起きながらにして
夢の中に展開したような
そんな不思議な感覚でした
気付けば一人で家を飛び出し
アパートから徒歩30分程の祖母の家へ歩き始めました
大人が30分歩くのとは訳が違い、幼い私にとってその30分はひとつの壮大な物語のようでした
急すぎる下り坂
象の滑り台とカラフルなブランコ
蝉の捕まえやすい大きな木
歯医者の帰りに立ち寄るパン屋
初めて買ってもらった絵本の売っている本屋
もう潰れてしまった優しいお婆ちゃんの居た駄菓子屋
幸い
私自身が幼い頃から道を覚えるのが得意なこと
地域の治安が良いこと
近所付き合いがあったこと
何も無く無事に祖母の家へ辿り着きました
祖母は驚いた顔をして
母が私がいなくなった事で
泣きながら電話をかけてきたこと
町中を探して回っている事
そうして反省した私
現実へ戻って行きました
ですが、
それから何度かふらっと何処かへ
行ってしまいたくなる時が訪れます
そうした浮遊する時間の訪れを
私は今もこうして待ち続けています
ただ力強く望むわけではありません
ふらっと手を引かれるように訪れるそれは
とても優しく手招きしているのです
無意識というよりはより鮮明な意識を持ち
金縛りの際の足音の様な物です。
そして現在
私は今、様々な分岐点に立ち
とても均一に切り取られた時間の中
足だけを動かし過ごしております
ただ連れ去られていく事に
赤子の様に身を委ねる
その時を待ち侘びて
道に迷うことのない私が
既に行き先などない事に薄々気づきながら
ただ目覚めて、眠る時まで
少しでもこの毎日を好きになれれば良いなと
淡い期待も込めつつ
私の時間はどこまでも高く飛んでいき
気が付けば踏みつけられたカナブンの様だ
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