まえぴー

ヤクルト、銭湯、筋トレ、歴史、麺類、甘いもの、年上女性が大好き。深川エリアのお散歩にハ…

まえぴー

ヤクルト、銭湯、筋トレ、歴史、麺類、甘いもの、年上女性が大好き。深川エリアのお散歩にハマる。見るのもやるのもスポーツが大好き。三宅健のようなおじさんになることが目標。母校、都の西北大学からヤクルトのドラ1が出る日を見るために生きてる。社労士として開業することが目標。

最近の記事

肉の万世

津田沼に肉の万世が出来たようだ。 万世ができることは店舗が工事中だった2月あたりに前を通って知っていたのだが、ようやくお店に出向く事ができた。 場所は船橋税務署や県船近くの中野木交差点の所。住所は船橋市かと思いきや習志野市谷津らしい。(習志野市は千葉市船橋市と接してる部分が多く市境付近ではよくこういうことが起こる) 仕事が早めに終って他に用もないので急いで店に向かう。16時ごろ着。広く高級感溢れる造りの店内には僕以外は3組くらいのお客さん。ロードサイドの店の平日16時過ぎなん

    • 宮迫と一緒に

      宮迫がロンブーの亮と一緒に闇営業に端を発する一連の騒動の会見をひらいた。 会見について、事の真偽については色々あるのだろうけど、そんなことはどうでもよくて、宮迫と亮が登場する僕の人生のページを思い返しながら見ていた。 彼らは僕が小学校に上がり、大人のテレビ(バラエティ)を見始めるようになった時点で既にテレビに出ていた。 Wikipediaと兄の証言によると、ロンブーは90年代後半からテレビに出てたらしい。 ロンブーのかつての代名詞とも言われる90年代のチャラい若者弄りの番組で

      • 神宮のゴリラ

        前回のドラフト2位ルーキー、プロテインゴリラもしくは中山きんにくんこと中山翔太外野手紹介の記事から3ヶ月。 彼は2軍での順調な下積みを終えて6/9遂に1軍デビューした。 結果は……レフト前へのタイムリーヒット。 キャリアの始まりを華々しく飾った彼はその後も停滞するチームとは正反対に我々ヤクルトファンを喜ばし続けてくれている。 交流戦西武ドームでのプロ初HR、神宮球場でのマルチヒット、猛打賞、更には秋田でホームランを打った次の日には力強過ぎる打球で相手の内野手のグラブをはじく内

        • ガキ大将は今

          実に面白い体験をした。 グレてしまった兄の同級生にたまたまコンビニで話しかけられて昼間から飲んで歩いておばあちゃんの家に一緒に行ったり地元のスナックに行ったりした。 その彼は幼い頃ガキ大将気質のサッカーが上手いイケメン。いわゆる「陽キャのヤンチャなガキ大将」って奴だ。彼は県内1番のサッカーの名門校に進学後、足の怪我による挫折からグレて退学。その後は暴走族と土建屋、水商売を転々として年に数回人を殴っては拘置所や刑務所に入るのを繰り返す人生を送っている。 今年年始に出所したものの

        肉の万世

          プロテインゴリラ

          今年もペナントレース開幕がいよいよ近づいてきた。 毎年楽しみな開幕だが今年はより楽しみな理由が。 その訳はドラ2の中山きんに君こと中山翔太外野手だ。 履正社高校から法政大学を経てドラフト2位指名の背番号8、高校は山田哲人の後輩、大学は大引と西浦の後輩とヤクルトに縁のある選手である。 そんな彼と僕との出会いは2年半前の神宮建立90周年記念奉納試合、六大学選抜vs東京ヤクルトのこと。 デタラメにバットをぶん回してるとしか思えないスイングで当時2年生の中山はプロから3安打を放つ。

          プロテインゴリラ

          ごっつぁんが我が家にくれたもの

          先日元モー娘。のゴマキの不倫が報道された。 旦那さんが不倫相手の間男かつ元カレを訴えているという内容で裁判についての詳細が事細かに文春に掲載された。 その記事を受けて当の本人ゴマキは不倫の事実を認めて世間に対して謝罪をし、夫婦関係の修復に努めていることを報告した。(そもそも謝る必要はあるのだろうか) ネット上では子供がいるのに不倫なんて最低というありがちな批判は極僅かな少数意見のようだ。 一方、謝罪文や記事から漂ってくる旦那の建設作業員にありがちなDQNな振る舞いとDVによっ

          ごっつぁんが我が家にくれたもの

          平成の終わり、子供の終わり

          昨年12月の小笠原満男、川口能活といった元日本代表選手2人に続き、1/8には楢崎正剛、中澤佑二という日本代表の守備を担った2人が引退を発表した。 Jリーグの開幕に合わせてか、彼らはメディアに引っ張りだこになって僕たちを懐かしい気持ちにさせてくれている。 僕は小学生時代少年サッカーではGKだったので川口楢崎両選手の載った本を読んだりもした。川口の飛び出しをよく真似たりもした。 テレビに映る彼らは重い何かから解き放たれて清々しい顔をしていた。本当にありがとう、お疲れ様という気持ち

          平成の終わり、子供の終わり

          やたらといいねがついたので…

          noteの最初の記事を書いてから早1ヶ月。筆不精なのでもちろん記事なんて書いていない。なのにやたらと通知がなる。なるほど、年末にSMAPのいない年の瀬という記事を書いたからそれをファンの方が見つけて拡散してくれたようだ。なので今回もまたSMAPについて。特に好きとか応援してなくてもSMAPと一緒に育ってきたらこんな感じですよ〜ってのをファンの方に見てもらえたらと願う。僕は二十数年前、首都圏の郊外で中の上家庭のお気楽次男坊としてこの世に生を受けた。実家べったりなキムタクとポテチ

          やたらといいねがついたので…

          SMAPのいない年の瀬

          こういう文章を書くのは人生で初めてのことだと思う。小学校の頃、進研ゼミが家に届くと1日か2日で全部終わらせて赤ペン先生まで一気に仕上げた。しかし中々投函できない。赤ペン先生へのおたよりが何も思いつかないからだ。おたよりを書くのに10日以上かかった。時は流れてここ数年のお話。浪人や中退を経て数年遅れで僕は念願の志望校の学生になっていた。すぐそこに就活が迫っている。しかし僕は理由を考えたり話すことがあまり出来ない。いや、正確には出来なくはない。話が下手なわけでもない。むしろ雑談は

          SMAPのいない年の瀬