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言われたくないことを人に言ってしまった話

てらしなのです。

普段は登山のことばかり書いていますが、今日はちょっと別の話。

突然ですが、私はいわゆる「異性愛者」ではありません。

男の子を好きになった時期、男性も女性も好きになった時期を経て、今は、好きになるのもちょっと良いなと思うのも女性だけです。

世間的には、今の私は「同性愛者」に分類されるかなと思います。

本当に突然すみません。

でも、皆さんが望む望まないに関わらず、長野県にも、山にも、田舎にも都会にも、令和にも平成にも昭和にも、もっと前にも、同性愛者はいます。どうしようもない真実です。


このnoteでセクシュアリティを言うかはずっと迷ってました。

でもこの記事を書くには、言っておいた方がスムーズに理解してもらえるかなと思い、いきなり書きました。

私のことは嫌いでも、山と長野のことは嫌いにならないでください!!!(あっちゃん)


女性を好きな女性として生きていると、相手にカミングアウトしてる/してないに関わらず、色々と、言われたくない言葉に出会うことがあります。私が直接言われたわけではない、インターネットで見聞きした言葉を含めたら、もうひどいものです。

「本当にいるんだね、そんな人」←います!割と!

「叶わない相手を思い続けるなんて、ストーカーと同じじゃん」←同じかな???

「男性との本当の恋を知らないだけだよ」←どうしても恋できなさそうだし、ガチ恋中の女性がいるので大丈夫です!

「少子化に拍車がかかる」←数少ない同性愛者を責めるより、たくさんいる異性愛者が安心して子育てできる社会をつくっていきましょう!

「男同士はアリだけど、女同士とかほんと無理」←許可制なの???男同士も「アリ」ってなんだその上から目線〜〜

単純に傷つく言葉、私を人間とは思っていないんだろうなという言葉、異性愛者に矯正しようとする言葉、なぜか始まる説教など……

異性愛者だったら浴びないんだろうな、聞かなくて済むんだろうなという言葉をたくさん浴びます。

某調査で、LGBT当事者は、いじめに遭った人や自殺を考えた人の割合が、当事者でない人と比べてやや高いという結果が出ていた気が。
自殺が頭をよぎる……そりゃそうだと思います。

自分では自在に変えようもない、「好きになる性別」「自分の身体と心の性別」を理由に、責められ、差別され、笑われ、ネタにされ、孤立するのだから。


ちょっと話がセクシュアリティに寄り過ぎたけど、まぁ要するに、言われたくない言葉をたくさん浴びてきました。

そして、そんな私が言われたくない言葉の一つに、「もったいない」があります。

「○○ちゃん、男の人からモテそうなのに、なんかもったいないよね」というような言葉を、カミングアウトした相手からたまに言われることが。

要は、あなたが男の人を好きになる人だったら、今ごろ誰かと付き合えていてたかもしれないのに……もったいないという文脈である。


私は「余計なお世話だわ」という言葉を飲み込んで、笑って誤魔化すことしかできない。


誰にとっての「もったいない」なのか。

私は別に、男の人を好きにならないことを、付き合わないことを、もったいないとは思わない。

私には私の好きな人がいて、この人とならこういう関係を築きたいかなという願いや意思がある。

それを「もったいない」なんて言葉で無下にされたくないのだ。


私のことを思って言ってくれた言葉なのかもしれない。

それを「余計なお世話」なんて切り捨てたくもないのだが、どうか、あなたの価値観の中に無理やり私を落とし込もうとして、私の大事なものを見落とさないでと、思ってしまう。

私には私の幸せがあるから、良かったらそれを応援してねと思う。




さて、やたら長くなってきたが、昨日、私も友人に「もったいない」という言葉を吐いてしまった

その友人は、とある男の人と、付き合ってはいないが恋人っぽいことをする、いわゆる”曖昧な関係”を続けている。

その関係について、友人と話している時、ポロっと「なんか…もったいない気がすんだよね」と言ってしまった。

あなたは素敵な人なのに、なんでそんな人と会い続けているの?もっと良い人がいるはずなのに、そんな人に時間を使って…もったいないよ

そんな意味で言った。

彼女がどういう風にその男性と出会い、どんな風に過ごし、どんな思案を重ね、どのようにその人を想いながら過ごしてきたのか、ちゃんと知らないまま。

私が心の中で”そんな人”と切り捨てた男性のことだって、本当のところどんな人なのかよく知らない。

人にはいろんな「好き」があり、思いがあり、考え方があり、関係性がある。それを分かっていたはずなのに。

彼女が自分なりに大事にしていたものを、よく知りもせずに無下にしたような気がした。

私が、言われたくないと思っていた言葉で。


後で私は彼女に謝った。彼女は、私を思って言ってくれるのは嬉しいよと答えてくれた。

でも、本当にそうなのかな?と思う。彼女を悲しませたり嫌な気持ちにさせやしなかっただろうか。

もっと、彼女の積み上げてきた経験、考え方、感情、そういったものを考えられなかったのかなと思う。

私の価値観の中に、彼女を落とし込もうとしすぎた気がする。

そういうの嫌なのにな。

ましてや「もったいない」なんて、自分の嫌いな言葉を告げてしまったのが尚更尾を引かせる。


踏み込んだ話をしたかった、友人の考えを知りたかった。でも、別の方法があったんじゃないかなって、ちょっとへこんでる。

大事に思っていることと、実際に大事できるかどうかは全然イコールじゃない。

まだまだ修行が足りない。



同性愛者に「もったいない」と言ってくるような人達を、まるで自分たちを傷つけてくる敵のようにすら思っていたけれど、自分も誰かに対しては似たように傷つけたりもしているんだろう。

「もったいない」と言ってくる人達は、自分とは全然かけ離れた敵ではなく、あくまで地続きな存在なのだろう。

他の人の幸せを踏みにじらずに、生きていけたらな。

踏み込みたいからって、傷つけかねない言葉を考え無しで吐くのは違うと思うんだ。

相手の方へちょっと踏み込んでいく時にも、むやみに傷つける可能性のある言葉を吐かないようには出来たらな。



「私には私の幸せがある」という言葉。

これは、全くその通りであると思うと同時に、他の人から言われたら、ちょっと寂しいなと思ったりもする。

「私の幸せ」と「あなたの幸せ」が同じではないという、ある種の疎外感。

「私の幸せ」は「見守っててね」と思うのに、

「あなたの幸せ」にはつい口を出したくなる。

ついつい私のものさしで見てしまう。

「あなたの幸せ」に、ちょっとでも私が絡んでないかな?って確認してしまう。

「あなたが幸せならそれで良いよ」って、100%で言えない時がある。


「人それぞれの幸せ」とか「尊重する」とか「大事にする」とかを、この先、本当の意味で理解していけたら良いな。

そして、相手の人生を尊重した上で、

あなたの人生と私の人生は別のものだけど、

それでもあなたを知りたいと思うこと、

それでもあなたと一緒にいたいと思うこと、

その気持ちを相手に伝えることを、

自分も相手も大事にしながら、出来たら良いな。


こんなことをぐるぐる昨日から考えている。考えすぎかなとも思うけど。

noteに吐き出してちょっと楽になろうとしてる自分も、少し嫌になるけど。

もし何か昨日私が友人を傷つけていたとしたら、

これからの私の行動でやり直そうと思う。


よし、寝よう。

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