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選抜精度に関わるのにフェア志向を忌避する文系者(既存の教育者は、文系的局面での選抜を確からしいものにする能力を子どもから奪う存在)についての考察

2022-1-008

例えば、余裕があるのに(正確には、理想を割り引く程度に関して、代替不可能な内在事情外在事情が許す範囲で可能なだけの抑制をせずに)
もうこれ以上無理と言って何らかを擦り付ける(次善の策常態化の弊害含む)とか、

ふっかけて(浅知恵の押し付け、否認による都合の悪さの先送り等込み)おいて相手を何とか引かせ(信者化まである)丸々奪いにいくとか、


その種の振る舞いも結局のところ、代替可能な要素(表層的要素)と代替不可能な要素
(それがそれである限り引き受けざるを得ないという意味で、通用領域が最大化されてる要素)の分別ミスが修正されない、知性の機能不全の為に、

代替不可能な有限性だけから成るものに対し価値があるもの扱いできない、ひいては、自他の代替不可能な有限性までも引き受けようとしない、
この意味で、割り引かれに過剰反応してしまう状態の現れと推測します。

つまり、同種の他との共通要素の捨象を用いた抽象化具体化の不足(質の不足)を、対象に見出す能力
(既存の教育では育成されない)があるとは言えないのに、文系域での自己判断の精度を高く見積もり過ぎてる誤認と、
負わせるに値しない(代替不可能な有限性に帰属してない)ものを負わせる善不在とが、表裏なのだろうと想像します。


(フェアを、各場の代替不可能な固有性に即した割り振りへの支持と規定して、文系的局面での具体化精度最大化に相当すると解し、さらに、
量的側面が十分でも、都合を場に合わせて割り引く事をしないとか、場の性質把握が表層的要素を削ぎ落せてないとかで、フェアから乖離してる程、主張選抜であれ印象選抜であれ、精度は期待できないと認めるなら、

フェア志向を忌避してる文系者でも知的上層になれてしまう謎についての答えや、
競争協調に、どちらの形式を選ぶのであれ場の疑似でない固有性の発現を阻害しない形式が選ばれる事、かつ、どちらであれフェアの上で展開される事を、人類が求めてきたとは言い難い原因も、
上の表裏性に帰せられるように思われます。)



なので、主体とその外界との関係(需給成立をはじめとする、主体間の関係込み)における善不在を解消すべく
(代替不可能な外在事情にしか応じない有り様の一環)、

文系知性の中心に上の能力(新しい具体形パターンの発見を、抽象次元の通用性向上へと繋げる作用の最大限化に必須)を据える働き
(フェア志向の下で文系的局面に臨むのを、客観視の下で理系的局面に臨むのと同等に扱い、情報処理の前提における両輪とする教育)が機能し、

冒頭の例の類を見かけたら、文系知性が形骸化してる現れとして扱う知的環境へと

(選抜精度とフェアの関係を無視して、つまり、文系的局面での選抜を確からしいものにする能力を子どもから奪うのと引き換えに、冒頭の例のような不当獲得地平を再生産するサイクルの、
担い手である既存の教育者という謎の存在を筆頭に、保全勢力の圧力が強力ではあるけれど)持ってきましょう。



代替不可能な有限性だけから成るものに価値を見てない
(代替不可能な内在事情外在事情にしか応じない主体像を、失敗等も受容するレベルで信頼する条件としてなかったり、
内面世界も局面も場として捉えつつ、各場の代替不可能な固有性に着目無視を即させる有り様以上のものを、例えば、思考展開に関して、他者に求めてたり)為に、

表層形を内実の確からしさと関係なく肯定否定する事になる(各自の条件上の最善でもって繋がってる状況に、平等を見る事もない)わけで、


上で言う知的環境刷新
(場の上に立ち上がってるものへの肯定否定が、先の意味での善不在の下での固有性形成を疑似化としつつの、各場の疑似でない固有性への尊重の反映であり、
次元設定自在性という人間性はその尊重に注ぎ込まれる環境への移行)を、

表層形断罪の時代
(特定の表層形断罪を糾弾しながら、自分が表層形で断罪するのは問題ないと言ってるも同然な内容の言動が、質不足として扱われない、
したがって、抽象次元の通用領域拡大の機会を逃し、安易な解決像のごり押しを許してしまう時代)の終焉にまで繋げましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。