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幸不幸や盛衰の問題に、搾取的発想を持ち込む事も、思考の機能不全に陥る事も防ぎつつ、取り組んでみるとこうなるはず、という話

2022-11-005

幸不幸や盛衰に振り回されてる状態(大騒ぎだけでなく見て見ぬ振りも込み)にある人は、内実の確からしさよりも表層形を問題にしてるわけなので、
内実の確からしさを確保しつつの表層形変転への志向を欠いてる、当然、思考展開の結果も信頼性を欠く(いらぬ飛躍を取り除き切れてない)と推測されます。


対内実を表層形の望ましさへの問題意識に先立たせ(ちなみに、文系的局面における内実不問は、
内実の確からしくないものを内実の確からしいものと同様に扱わせる事を可能にする、搾取可能状況への誘導に他ならないので、搾取的発想の正当化への対策でもある)、

抽象化具体化の不十分さが解消されてる状態は内実が確からしい(内在性質外在性質が帰属の修正余地のない、したがって、受容に値する状態で統合されてる)、
抽象化具体化に際する捨象対象(個別性に対する態度)は文理で真逆、
これら理解を踏まえた、より確からしいものが取って代わる運動性を対内実に持たせる事で、思考の、ひいては、対世界の形骸化を防ぎましょう。


2+3を10とか100とか言い張る、
存在と引き換えの要素以外も込みで根拠にする(疑似化部分も内在性質や外在性質に帰属してると言い張って、仕方ないとは言えない負わされるに値しない部分の、仕方ないもの扱いを強いる搾取)、

これらいらぬ飛躍が同列化されてない事から分かるように、同種の他との差異要素捨象への厳格さと違って、同種の他との共通要素捨象への厳格さは、教育では獲得されず
(論理観をはじめ、前者捨象の領域侵犯という不当合理が生じる原因)、

個人や国の固有性(偏り)を受容に値する状態へと持ってく働き(表層形によらず受容に値させるべく個別性の内実を確からしくする働き)を、社会が備えてるとは言えない状態にあります。


理解力や実力は、対象に関する抽象具体関係構造の像に確からしさを持たせられる、持たせれてる程度、
つまり、抽象化具体化の不十分さに相当するいらぬ飛躍についての除去問題であり、
同種の他との共通要素捨象を用いた抽象化具体化の不十分さを解消する能力がなければ、文系的認識や実存は確からしさの上限に至れないと解して、

対文系における既存教育の影響(たとえ数学追究への理解があっても、文理の捨象差異への不理解から対文系では、
抽象次元の通用性を可能なだけ高めた上で個々具体を捉える働きが事実上機能してない状態に疑問を持たない、
当然、機能してるものしてないものの区別がつかないのに、例えば、表現について語るなど)を外しましょう。



また、文理での異なる捨象対象問題を、局面(外在事情の一種)と着目無視との合致処理
(過大反応過小反応を抑制する為、自己正当化欲求含め、立場の非対等性に対する肥大化やフラット化の否定でもあるそれ)に回収しつつ、

理想現実関係は抽象化具体化の不十分さの解消問題、
歴史性は抽象化具体化の交互反復に拡張した同解消問題(解消されてるかどうか、
言い換えると、より確からしいもの、より通用領域の広いものが取って代わる運動性が阻害されてないかどうかが、表層形自体の望ましさに先立つ)、

自由は、対内在や対外在での、代替不可能な要素以外込みの受容も代替不可能な要素込みの拒絶も囚われてると見なし、内在不問外在軽視もその反転も否定した、代替不可能な内外事情にのみ応じる主体像
(内在場と外在場での、場の疑似でない固有性の全面展開な整合への支持とも言い換えられる)、

平等は、持つ持たない、できるできないがその主体像の反映である事を求める有り様、
つまり、その主体像を最善(理想を割り引く程度を現実が成立する範囲で最小にする具体化条件)とし、
課されてる条件の違いによらずどの主体に対しても、最善からの乖離を非難対象としつつ、乖離解消以上のものは求めない方針(課されてる時空条件の差異におけるこの方針としての対歴史込み)、

(着目無視についての具体化精度の確保であり、その振り回されなさから自由平等を導く、上の合致処理は、
捨象処理の事情でこの自由観平等観の要件であるという、認識と実存の間の関係を疑えると共に、
内実不問が搾取の原因と認めるならば、具体化精度の確保こそが対搾取であり、奪い合いからの脱却であると疑える。)


そう解せば、幸不幸や盛衰も、具体化精度の上限をもって受容する方針に落とし込む事も可能
(搾取的発想を抑える、具体化精度の確保を優先する発想の下でそれらと付き合う事が可能)になると思うので、

検証実験の精度が低いのと、競争や協調においてポジションや具体的有り様がアンフェアに定まるのとの、同列化も期待できます。
(フェア志向を欠いた文系者に関する、主張選抜や感情選抜が機能してない実力不足、ポジション割り振りが改悪フィードバックになるが故の実存の確からしさ上限化の逸失、

あるいは、不当合理批判にかこつけたりその為に仕立て上げたりして内実不問であるところの過剰特殊を通そうとするなど、奪うという目的を隠ぺいする為に知性や倫理を持ち出す偽装工作者との疑念も強まるはず。)


つまり、個人の外在場と国の内在場、あるいは、国の外在場と国際社会の内在場を同一視する
(例えば、感情と理性の関係が上下論や対立構図に落とし込まれるのを、
場での割り振りに内実の確からしさを持たせる試みの、内面世界や局面における展開、という抽象具体関係構造、
先の自由観の言い換えでもあるそれをもって退けるのと同じ構造で、個人と国の関係の、闘争関係枠組みへの矮小化を防ぐ)として、


場の疑似でない固有性の全面展開と見なせる組み上げなり整合なりを(具体化精度の確保が優先されてる類の割り振りを)、
プレーヤー立場と管理者立場とが協力(他方への肯定否定や要求の根拠をこの点に限定する事で、
いらぬ闘争を抑え、均衡が生まれさえすれば良い的なバランスに内実の確からしさ差を見ない権力均衡と決別)し、達成する世界への道が開ける

(個々事情の、需給事情の形での集積の一つとして市場を見れば、先の自由や平等や対局面が需給成立の内実を担う方向でマーケティングを捉え直せるなど、経済的側面についても同じ話が言える)と考えます。



注、

自身の主観に対してをはじめ個々事情の捨象が、小学期での理系の最大の課題(算数の文章問題などで必須)でしょうが、
大騒ぎや見て見ぬ振りという振り回され状態への、状況的に過不足のない反応(への受容に値するもの扱い)による抑制を、その文系版と見なすとして、

それらの抽象像(したがって、小学期の最大の課題)である、局面と着目無視との合致処理
(具体化精度の確保による過大反応過小反応の抑制効果から、立場の非対等性に対する肥大化とフラット化の同時否定が期待できるそれ)を義務教育の対象に組み入れる事は、

例えば、お金を出す立場、仕事を振る立場といった非対等性が肥大化する事で個別の関係性はもちろん、経済に齎される歪みへの抑制を、
早期から可能にする、立場の非対等性の肥大化問題への対策の本筋と思われ、エリートの肥大化(利権構造の保全圧力込み)問題
(フラット化という反動反発による対応は、先例が示すように無理筋)についても同じ事が言えると考えます。


ちなみに、上で言う合致処理は、理系的局面と文系的局面との間の捨象対象の真逆問題への対応を含む(同種の他との共通要素の捨象アプローチが可能になる)ので、上の例は組み入れによって、

個別性が根拠となる局面で、個別性の疑似化を許してしまっていても、もっと言うと、
同種の他との共通要素捨象を用いた抽象化具体化の不十分さへの鈍感さ故に、文系的思考や人生等の文系的展開(同抽象化具体化の交互反復)に対し内実の確からしさを持たせる
(つまり、形骸物をそうでないかのように扱わせる搾取事態を阻止する)上で必要な、通用が行き渡っているいないの判断感覚が機能不全でも、

知的上層になれてしまうし、修正しなくても(通用してないものをしてると見なしたり、逆に矮小化したりを繰り返し、
通用してない部分を潰す機会を逸する生のままでも)やっていける既存の文系空間を刷新する一環とも見なせます。

ご支援の程よろしくお願い致します。