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帰属を修正してるつもりでも内実の確からしさには手を入れない為、表層形断罪を繰り返してる形の文系者がその自身の非を認めなくとも、環境的な対処は可能

2021-11-002

表層的事情(代替不可能的ではない事情)にも応じた結果に獲得されるものを、自他の別なく忌避する(いらぬ特化と見なす)人の少なさが問題と思います。


何らかが達成されるされないよりも、具体化精度の方に問題意識を持ってる人が多くなる程、
多様性に質(代替可能な要素を削ぎ落し、現時点で可能なだけ確定性を高めた個性かどうかなど)を見ないまま拡大縮小を支持する主張(経済系含む)や、
変化不変化に質(具体化精度の高いケースだけをフィードバックしてるかどうか)を見ない主張が、

つまりは、量的差異にしか論点を見出さない(表層形断罪という冤罪の原因)人達が、持つ影響力は小さくなるはずだからです
(その冤罪メーカーぶりをどれだけ指摘しようと、本人が非を認めず修正拒否する展開も十分あり得る為、環境側が価値付け替える事で有害性抑えるアプローチも考えるべき)。



例えば、より通用領域の広い方を選ぶ、これが内実に対し展開されるなら、損という表層形を持つものだろうと内実次第で受容されるのに、
実態反映系(市場や民主制)は、表層的事情込みの(つまり、代替可能な要素の、言い換えると、条件次第な限定通用物の混入具合に扱い差をつけないまま)の需給事情を許してる限り、
受容に値する内実持つ表層形を割り振る事はできない、


この点を無視して市場や民主制を、または、その反転形(内実の改善でなく、量的に距離を取るだけの短絡な解決志向の産物)を押し付けてくる事例も、


地平が表層次元の外に出ない為に、通用してない部分を潰す働きの弱い
(帰属を修正してるつもりでも内実の確からしさには手を入れない)知性や倫理で満足してる形なのに、権威を振りかざして、

世で生じる割り振りを、より確からしいもの(通用領域の広いもの)が取って代わる運動性から引き離してしまう有害事態
(具体化精度の低いものへの対応能力と実力認定とが結びついてないが故の、文系域の現状)の一種ですから、



その運動性を阻害する枠組み(常識なりパラダイムなり)がインストールされたままである点に原因があるわけで

(同種の他との差異要素の捨象に特化させる作用持つ近代性パラダイムやそれを土台にしてる既存教育は、対理系に限っては、

抽象化具体化の精度を下げない、つまり、抽象化具体化の交互反復から成る展開は、論理であれ歴史であれ通用の行き渡ってる状態を保存しつつの表層形変転となる為、
その運動性への阻害を縮小させる、例えば、自他の主張からいらぬ飛躍を見出し、潰す能力を付与してる)、


枠組みインストール含め、その運動性を阻害するような獲得はしない人、
つまり、自己を具体化する具体化条件にその運動性を内包させてる人の方が信頼される社会、影響力を割り引かれない社会にしてしまえば、
権威の振りかざしから、確からしい割り振りを護る事は可能と想像されます。



そのような具体化条件として個人的に期待するのが、内在外在のできるだけ代替不可能化させた固有の事情にしか応じない主体像(同種の他との共通要素の捨象が必須)ですが、

その主体像への信頼を、人以外も、余裕がある場合の消費や投資の優先対象とする内容も、含むものに拡張した上で、信頼される社会へと寄せる程に、
場(内在場も外在場も)の代替不可能な固有性を埋没させない形式(着目無視の設定)や帰結を志向してる主体は、存在しやすくなるはずで、


場の管理者ポジションが、場の代替不可能な固有性(疑似的でない固有性)の発現を保障する
(扱いに反映される差異は、その固有性に即したものしか認めない)事で可能となる、

フェア(その場がその場である限り持たざるを得ない偏りのみが、ポジションや具体的有り様を規定してる)な割り振りに、

また、フェアな帰結(やむ得ない限定性と言える、上の偏りにのみ帰属してる割り振りへと修正する働きを知性や倫理が持ってる結果)である事をもって、
場に置かれるもの全てに(どんな負わされだろうと)納得してもらってる形の秩序(都合の押し付け合いの強弱による秩序からの解放)に、

繋がると考えます。

ご支援の程よろしくお願い致します。