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ニーチェ系譜やラッセル系譜にも、マルクス系譜にも、内実不問の弊害を見ようという話(一応、投稿用の短縮版も付記)

2022-8-006

存在も認識も、より確からしいものが取って代わる運動性の具体物(同種の個々への帰属があるかないかという文理の別はここでの具体化条件の要素)であり、

(内外境界の発生を意味する有限の与件性の下でのその運動性は、外在に合わせる、かつ、内在が被る割り引きを抑える処理、
つまりは、外在にとっての代替不可能な要素にのみ合わせる事によって通用性を得る処理に相当する為、
この処理の不全を意味する過不足な捨象、場に合わさない合わせるの表層形二択を含むそれは、存在や認識の形骸化を意味していて、)

通用の行き渡ってる状態(確からしさの上限)を保存しつつの表層形変転(抽象化具体化の交互反復)は、
理系的局面では同種の他との差異要素の捨象によって、文系的局面では同種の他との共通要素の捨象によって可能になる、と考えます。


一方で、人類は近代以降、理系的認識についてはその変転が可能になったけれど、
文系的認識(ひいては生)については後者捨象アプローチがパラダイムレベルで埋没してる為、
その変転を達成できないでいる(抽象重視と見なされるヘーゲルはじめ、理論面でもそれに相当する歴史観がない)のだと思います。

その変転としての生なり死なり(人以外込み)が達成すべき問題となってないのは、
十分な後者捨象アプローチによって得られるものとは関係のない何らかの状態を、文系的局面であろうと望ましいものとして規定してるからであって、
生が疑似問題化してる原因は、文系的局面におけるそのアプローチの不十分さを帰属の修正余地と捉える知性や倫理の不在にあると推測されます。



認識場の性質に対するそれが不十分な状態で生じてる主観、内面世界の性質に対するそれが不十分な状態で生じてる感情等、
応じる内在事情外在事情に対するそれが不十分な状態のまま生じてる個性(できる事できない事等の有限性形態)、
局面把握(着目無視設定の第一根拠となるもの)に際しそれが不十分である為に過不足ある問題意識の下で展開されてる知性や倫理、

これらを根拠として認めてしまう時代を(続けるのは局面との乖離である、次善の策の居座りと見なして)終わらせましょう。

(有限の与件性とより確からしいものが取って代わる運動性に帰属があると言える現象を、帰属の修正余地がないとして肯定する有り様の具体形として、
例えば、所有権行使が、内在不問外在軽視な自由観の反映でなく、代替不可能な内外事情にしか応じない主体像の反映な内容であるか、
また、所有権の割り振りが場の疑似化してない固有性(代替不可能な要素)に即しているか、を問う有り様もあると捉えましょう。)


後者捨象の十分不十分(それがそれである限り持たざるを得ない要素だけから成ってるかどうか)を問わないという意味で内実不問故に、
表層の洗練しか望めず、搾取可能状況(帰属の修正余地の有無の混同状況)を保存し続ける知性や倫理が影響力を持つ時代を終わらせましょう。


具体化精度を重視しない具体重視も当然内実不問なので、ニーチェ系譜もラッセル系譜も表層洗練という近代が敷いたレールの上を進んでるだけであり、
マルクス系譜は資本主義が洗練されてくのに対して、搾取の原因を野放しにし続けてる、
こう解し、それらに知的権威の形骸を見ましょう。



以下、投稿用の短縮版

有限(内外境界の存在)の与件性とより確からしいものが取って代わる運動性に帰属があると言える現象を、帰属の修正余地がないとして肯定する有り様の一つに、
所有権行使が、内在不問外在軽視な自由観の反映でなく、代替不可能な内外事情にしか応じない主体像の反映な内容であるか、
所有権の割り振りが場の疑似化してない固有性(代替不可能な要素)に即しているか、を問う有り様もあるのでしょうから、

帰属の修正作用として倫理が機能していれば、得る資格を内実と関係なく開閉するだけの倫理(共産系に限らない)に共感を持つ事はないはずです。


また、近代パラダイムは文系事象(例えば、主観)に対して、同種の他との共通要素の捨象に十分さらされているかどうか
(それがそれである限り持たざるを得ない要素だけから成ってるかどうか)を問わないという意味で内実不問故に、
表層の洗練しか望めず、搾取可能状況(帰属の修正余地の有無の混同状況)を保存し続けてしまうわけですが、

具体化精度を重視しない類の具体重視(抽象重視と見なされるヘーゲルに対する反動形)も当然内実不問なので、ニーチェ系譜もラッセル系譜も表層洗練という近代が敷いたレールの上を進んでるだけであり、
マルクス系譜は資本主義が洗練されてくのに対して、搾取の原因を野放しにし続けてると解すべきでないかと思います。

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