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「不満はあるか」と問われて「ない」と答える私の心理。

私はどんな場面でも「不満はあるか」と問われて、「ない」と答えることが多い。
会社の上司や友人、恋人が何か不安そうに私に問いかけることがあるけれど、
私は基本的に不満を感じていない。


諦めているから、不満がない。

「なぜ何も不満がないの?」
「もっと改善してほしいところないの?」と問われるのだが、
私はおそらく "他人" に対して期待をするのをやめていて、
『仕方ないな』という諦めの気持ちが先に来ることが多いのだと思う。

『あの人は忙しい人だから、できなくても仕方がない』
『あの人は優しい人だから、私が負担をかけたくない』
『きっと言っても断られるから、言っても意味がない』

要はこの1年、他者に対して諦めの気持ちができてしまったのだ。
(理由はおそらく休職の発端となった事件かと思う)
どうせ期待したところで応えてくれないことを知った私は、
自分がもう2度と傷つきたくがない故に他者に期待することをやめて
『自分でなんとかしよう』という気持ちに切り替わったのだと思う。

譲れない時もある、が。

ただ時折、どうしても譲れないこともある。
これだけは叶えてほしい。無理かもしれない。でもどうしても。
そういう時は10回以上心の中で諦めの言葉を吐くのだが、
それはつまり10回以上も諦められなかったことと同義なので、
もう頭で考えるより先に口に出ていることが多い。

「こうしてほしいと思っている。なぜなら…」

10回以上も諦めていると考えた理由がポロポロとたくさん出てくる。
何層にもなってできた皮を1枚1枚剥がすように、
深層の、痛くならないところまで、ポロポロ剥がしていく。
剥がすのも痛い。けれど、これだけは譲れないと思いながら剥がす。
基本的に心を剥がす作業は痛いことを知っているので、こうならないように諦めることも多い。


人に期待しない、という一見残念な生き方。

ここまで書いてみて、なんだか少し残念な生き方をしているなぁと感じる。
よく哲学書なんかでは「他人に期待しないことで幸せを感じやすくなる」という記載があるが、
正直、人を信じていた頃の自分の方が幸せを感じていた。
信じた結果傷ついたとしても、それを乗り越えた自分の方が好きだった。
休職を経て感情や体のどん底を知ったことで、信じることができなくなってしまったのだなぁと思う。

少しずつでもいいから、この残念な生き方をやめたいと思う反面、
「不満がない」と思えるこの生き方も悪くないなと思っている自分がいるので、
もう少しだけこの生き方を楽しんでみようと思う。

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