【読書感想文】「現代思想の冒険」/竹田青嗣
押入れの一角、いわゆる「積ん読」状態となっている本が並ぶ辺りに久々に手をのばしたら、「思想」というものについて、ふとまた触れたくなった。
特に理由はない。
「また触れる」といったって、最初に思想というものに触れたときに、きちんと触れたかどうかすら危ういが。
私は10年前、文系の教養系の学部で、近代思想を専攻していた学生だった。
ただし、真面目に勉学に打ち込んでいたとはいえない。
華やかなキャンパスの物陰をのっそのっそと這って進むかのように、マイペースに気だるく過ごした大学の4年間で、いったい私は思想の何を理解したといえよう。
というわけで、動機や自分への思想への親しみのレベルはどうであれ、かつて学んでいた思想・哲学のおさらいがしたくなり、『現代思想の冒険』(竹田青嗣・ちくま学芸文庫)を開く。
*
『現代思想の冒険』は、裏表紙の解説によれば、思想というものの「入門書」とのこと。
哲学や思想の潮流を、下記の観点から解説してくれている。
・近代〜現代の有名な哲学者や思想家は、人間や社会についてどんな新しい考え方を示してきたか
・違う哲学者や思想家同士の考え方の違いは、どんなふうに影響を与えあっているか
・これまで発展しつくしてきた哲学・思想の知識をヒントに、いまを生きる私たちはなにを学べるか
といっても、まったくの初学者にはちょっと読みにくい内容かと思う。私も、この手の本を読むのは不真面目な学生時代以来ということもあり、すらすらとは読めなかった。
「最近、哲学や思想に興味を持っていろいろ読み始めて、面白いなと思ったから」ぐらいで挑戦するのがいいのかもしれない。
さて、哲学・思想。
とてつもなく高尚でとっつきにくい、得体のしれない分野である。
とはいえ、哲学や思想がやろうとしていることを簡単に言うと、「人間とは何か」「社会とはなにか」を真剣に解明することで、人間の生をより善いものにしていこう、という企てである。
『現代思想の冒険』では、この企ての歴史が解説されている。
もっとわかりやすくたとえるならば、ファンタジー系のRPGや小説・映画を思い浮かべるといいかもしれない。
ファンタジーの物語の世界には、倒すべきボスがいたり、世界の危機を救うための謎を解く必要があったりする。
哲学・思想は簡単にいうと、ファンタジーでいうところのボスの正体や世界の謎を、解明する試みなんじゃないかと私は思う。
ただし、世界というダンジョンに踏み込む方法は、魔法や攻撃ではなく、言葉と思考の力だ。
そう考えると、哲学者の考え方って、あらゆるファンタジーやSFの元ネタになったものがたくさんあるな、と感じる。
「カントの思想は?マルクス主義とは?ヘーゲルとは?」と問われても、即座に説明できる頭は私にはない。
けれど、「○○という思想家は、人間や社会の実態を、こういうものだと分析しました」という考え方を解説してもらうと、「そういう設定のSF、ありそうだな〜」と思えてくる。
自分の心の中に、「あ、なんとなくだけど、イメージできる」という要素が、見つかる。
そう、『現代思想の冒険』は、人の間に、哲学・思想がどうやって今も生きているかを、教えてくれる本だ。
「○○という哲学者=○○主義」と、学校のテスト対策のようなやりかたで、思想を学ぶのではない。
有名な哲学者・思想家の提示した考えが、どのような点で新しく、どんな意義があるのか、知りたい。
「めっちゃ昔の有名な人の考えた、なんか難しそうな成果」が、どんなふうにその後の世の中に生きているかが、知りたい。
土の中から掘り起こしたカラカラの化石としてではなく、今生きている人間や社会の内側で、根を張って生きているものとして、『現代思想の冒険』では哲学・思想が語られている。
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ところで私は、哲学・思想のやろうとすることを、ファンタジーの世界にたとえてイメージした。
でも、ファンタジーの世界に生きていない今の私たちにとって、倒すべきボスや世界の危機とは何なのだろう。
人や社会の生活を脅かす新型ウイルスか。ウイルスの対策に後手後手の政府か。就職難や貧困か。マイノリティへの差別か。
今の私たちにとっての敵や危機は、挙げればきりがない。
ただ、私たちにとっての敵や危機をざっくりまとめると、それは「生きづらい世の中」ということになる。
実際、2020年のSNSやニュースサイトのコメント欄では、みんな世の中に文句を言っている。
世の中=社会に生きるいちメンバー、いち市民・国民として、「もっとこうしてくれよ」「困ってるんだよ」と不満を噴出させている。
社会への不満は、今の時代に始まったことではない。
歴史をたどれば、どんな時代にあっても、人間は自分が当時生きている社会に不満を抱いている。そして、革命や争いが、世界の各地で幾度となく起こった。
思想とは、革命や争いという武力ではなく、人間の知力で社会の不満に挑む学問なのだと思う。
人間は本質的にどんな生き物で、社会はどのようにできているかを分析する。その分析結果を踏まえて、「じゃあ、これから人間はどう生きればいいのか、社会はどう変わればいいのか」を考えていく。
それが思想の大きな目的のひとつだろう。
しかし、多くの人の間で、実際はそう思われてはいない。
思想の力が、人や社会のためになるなんて、残念ながら思われていない。
なぜなら、哲学や思想は、挫折してしまったからだ。
何百年・何千年と、いろんな哲学者や思想家が、人間や社会についてあれこれ思索を深め、論を展開してきた。
けれども、いろんな人が、いろいろに考えて分かったことは、結局世界の真理なんて、なにひとつ見つけられないということだ。
『現代思想の冒険』では、哲学や思想はどうして今の世で挫折してしまったかも、説明されている。
私は、『現代思想の冒険』で説明されるこの思想の挫折の事情に、素直にうなずけた。
たしかに、今の私たちにとって社会というものは、思想の力でどうにかできるものとしては、見えていない。
思想や哲学で、世界は救えない。
人間の本質を、社会のあるべき姿を、はっきりと示すことはできない。
だからといって、絶望するだけで人は終われない。
思想が、人や社会を救えないことを解き明かしたのも、思想だ。
だが一方で、人は、救われないなりに希望を諦めずにいられない生き物であることを明かしてくれるのも、また思想だ。
『現代思想の冒険』を読み終えて私がたどり着いたのは、ここだった。
思想は、人や社会に対する最適解を出すためではなく、人の可能性を信じるために、現代においても息をしているのだと。
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だとすると、思想って、ほんとうに冒険だ。
人間や社会という、未知の部分だらけのダンジョンを、理論の力でひたすらに突き進む。
理論の正しさの保証も、思想自身の安全も、ダンジョンを突き進んだ先のゴールも、さっぱり不明なままで。
それでもなお、この冒険は終わらないし、終われないのではないか?
終わらせて、いいのか?
『現代思想の冒険』は、私たちにそう問いかけている。
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