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自画自賛 トップテン記事リスト #N1グランプリ2020

今日は自画自賛します。きっかけはこの記事。

出ました、うたママ!10月に、しめじ企画でリレー小説書いてた頃から、ちょくちょく出てきて、若僧の主人公の自己中心的な性欲処理や、思い込みの激しい私を、叱咤し励まし。穴までも見せて、平然と立っていられる、憧れの大人。で、うたママ、べた褒めしてるんだけど、自分のことを。似合う、似合う。選んだ作品も評も、まったくもって、大賛成。


もともとの始まりは、こちらの、逆佐亭裕らくさんの記事。

笑けた、転げるくらい。こんなに健康的に、人の自画自賛を感じたことはありませんでした。そして、どの記事も、納得どころか、卒倒もののおもしろさ。


人の自選を見てから言うと、自分の首しめるみたいですが、わたしもやってみます。うたママも、すすめてくれたんで。長い間、自信と臆病の間を大きくブレてきたので、これも、前進への、いいステップかと。では、能書きじゅうぶん垂れて、私の自意識も抑えといたところで。ギア変えますね。



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2020年 自画自賛 記事リスト


10位 

これが初エッセイこんなものが書けるとは。その時は、それだけで興奮。書き直し、50回はしたなぁ。心臓バクバクで投稿。

😎 こんな量の文章を書いたことが、まず、すごい。内容は、初めてのエッセイという形で、分けて書いたほうがえーんじゃね、とも思うほど、色々なことが書いてある。その時に、書きたいこととして溢れてきたことを、よく全部いれて、それで形をよくまとめたなと、感心!noteに参加するものの思い、凝縮。子どもの頃の、傷のような思い出が、ちょっと哀れ。


 
リレー小説「不確かな約束:みんなで創る編」第7章(前・中・後)

小説よ!フィクションよ!そういうものを書くのは、12歳の時、封じられたはずだったのに。書けないし、興味もなかったのに。しめじさんの企画で、何度も遊ばせてもらい、その度、突き抜ける経験をしました。3行短文詩がその最たるものですが、小説は、思いがけなさが、比較にならないほどです。リレー小説なので、人物や場所の設定、造型は、ほかの書き手がしてくれていました。(感謝!)

😎 ややあっさりのきらいはあるが、秀逸な性描写。佐伯カナという人物が、性差や地方の暮らしなどの現実味を持って、書かれている。最終章は、圧巻。


 

これで、私は、母のことを書いてしまいました。母が、私にいちばんしてほしくないことでした。これを書いたことが、後に書く、一位にあげた詩に、つながります。たぶん、私の中で、いちばん、澱のようにたまっていた気持ち、言葉にするのを避けていたこと、そして、一番、語ることで発散してしまいたかったこと、だと思います。大学進学制度のバカ!学歴社会のバカ!昭和のバカ!

😎 書いて昇華させた思い。淡々とした語りで、潔さも感じるが、書くまでに過ぎた時間を思うと、それだけ思いの深さを感じる。書きあげて、作品という形にした勇気と思い切りに拍手。


7位 

この中の走るシーンを、詩にしたのは、今年より前。それを、エッセイにしました。その後、3行短文にも。ついでに、俳句、川柳、短歌にも。ありがたいです、この子が走っていたことが。別の意味でも。

😎 詩では書ききれないことが、エッセイで、雄弁に語られている。ジャンルを生かした作品。思春期の子供が、境界線をスイッと越えたところを、まるで目撃したかのような気持ちにさせる。


6位 

将棋にそれほどの知識も興味もないのに、よう書けた!藤井のニュースを毎日追っていて。子どもを送って帰って、車庫の中でYahoo!ニュースをひらき、快挙を知りました。泣けてきて、音声入力で、思うことを言葉にしました。それこそ、感性のままに。

😎 自分が言いたいであろうことが、言葉にできている気がする。自分が感動しまくっていることが、一人もりあがりに終わらず、読んだ人に伝わるように書いてあり、共感を呼ぶ(はず)。


5位

3行短文を書いてきて、よっしゃと思った作品。この型が引き出してくれる、語彙や表現には、自分でも、よくびっくりします。

😎 唸るわー、どの段落も。うまいこと言うなあ。特に、最後の行の言い方には痺れる3行短文詩、真骨頂。


4位

80年代の葛藤とくすぶりは、わたしには全部、性差が今よりもっともっと顕著で、疑問もそんなに公には問題視されてなかったことと、つながっていました。わたしの、「人生やりなおし」のつもりで書きました。

😎 一粒で二度おいしい。二回にわけて記事にしていてもいいような、渾身の力作。私が編集長なら、ロッキンオン掲載まちがいなし。(80年代に書いてあれば。)


3位 

親もの。上の子には、世話になったなと、つくづく思います。もとは、「父と子」というエッセイと、最初はひとつだったのを、分けました。やっと、自分が書くエッセイは、さすが書き慣れていないだけあって、(1)長すぎる、(2)もりこみすぎ、だと気がついて。分けて正解。そして、ここから、分ける、長すぎないようにする、という技(?)を身につけました。私には、こっちのエッセイの方が評価は高い。だって、「父と子」は連れ合いのことで、こっちは自分のことなんで。

😎  親にしてくれた子ども。親としての気づき。泣かせる珠玉。


2位 

土壌としての自分は、自尊心やら自信やら、めちゃめちゃに振り幅が大きい。そして、勝ち気。でも競争はきらい。noteに参加して、最初の何週間かは、自分にも、人からの反応にも、期待がほとんどなかったので、うれしい、は、あっても、がっかり、はありませんでした。そのうち、期待、が出だし、人の言葉や反応に、いちいち大きく揺さぶられている自分に気がつきました。自分が不安になり、言葉の力や影響について考えさせられました。いくつか書きましたが、これが、その時の結論のような詩です。

😎よう言うた。よう言葉にした。強く潔く。名作。



1位 

母のことを思いながら書き始めました。「おとうさん」という詩を書いたのが、今でいうアラサーの頃。その詩を書いてから、自分を詩人と名乗りましたが、その数年後に、まったく書かなく・書けなくなりました。「おとうさん」以上のものは、長さも、濃さも、思いの強さも、もう書けないのだろうかと思っていました。以前の私には、「だろうか」じゃなくて、「だろう」でした、実は。書けて、うれしく思いました。

😎 書き手を象徴する、代表作。恨みで終わっていない。最後の決意は感銘必至。


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6月3日が初投稿で、今日の入れて209記事。

自分でいちばんエライ、すごい、と思うのは、ここかも。note参加前の自分に、こうなるよ、と言ってやったら、信じられなくて、でも、そう信じたくて、泣くかも😆。

それを可能にしてくれたみなさん。ありがとう。色々なことに気づかせ、できることを増やしてくれて。読んで、しるしつけて、コメントくれて、励ましてくれて。記事で刺激し、笑わせ、泣かせ、うならせ、考えさせてくれて。

おだててくれて、のらせてくれて、木に登らせてくれて。または、スルーすることで、気持ちをひっかかずにいてくれて。そして、しるしがあってもなくても、読んでくれて。

これからも、読んでやってください。そして、よかったら、その調子で、くすぐって。

「読み手」を意識する、というのが、今月になって、やっとはっきり自覚した気づきかな。自分のために、という思いばかりだったので、ずっと。

来年も、どうぞよろしく。


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せっかくなんで、次点も。(おずおずと。そのわりには、ずうずうしい、ね。自信と気弱の振り幅、大きいんで、、、)




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