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「自分だけの答えが見つかる 13歳からのアート思考」を読んで

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これは、本の中の演習で書いた「100文字ストーリー」。

「自分だけの答えが見つかる 13歳からのアート思考」の第3章、CLASS3にある。シンプルな絵を見て、それから感じたことをもとに、短い話をつづる。



私は、頭はかたくない。つもりでいた。

ずっと前に、ジョン・バーガーの Ways of Seeing という本を繰り返し読んだことがあった。ものの見方は多様で、状況や環境に左右されることは理解していた。見方は、時間や空間によって変わり、不動のものではないことも。

自分は、柔軟だと思っていた。一歩下がって、物事を見ることもできるし。自分が、知らず知らずにいろいろな決めつけをすることが多い、と何となく気づいてはいたのに。



「13歳からのアート思考」のしょっぱなは、大原美術館所蔵のモネの絵で始まる。

著者は、そこで、4歳の子供が、絵を見て発した言葉を紹介する。「カエルがいる」と。「今水にもぐっている」と。そして、続けて言う。

私はこれこそが本来の意味での「アート鑑賞」なのだと考えています。

著者、末永幸歩さんは、語るように文を進める。

末永さんの言う「アート思考」とは、思考プロセスを指す。「自分だけの視点」で物事を見て、自分なりの答えを作り出すための作法だと定義する。または「あなただけのカエル」を見つける方法、なのだと言う。

その話しかけの優しさ。末永さんの、大人への呼びかけに。本気で応じてみたくなった。彼女の言う「美術の本当の面白さ」も体験してみたいし、何より、アート思考をアップデートする、と言う言葉自体が、刺激的だった。

本気でやってみよう、と思った。

4歳の子どもに比する、しなやかな感性が私にもあるはず。あるのかも。あってほしい。願いか、妙な負けん気か、すがるような気持ち、だったのか。

6つのアート作品を通して語る、6章。5日かけて読んだ。最初の日にプロローグと最初の章、最終日に最後の2章とエピローグ。あとは1日1章ずつ。

書いてある事を堪能したかった。読んで、考えて。もったいなくて。試しにかいてみて、と言うものは全部取り組んだ。私は毎日、その週、特別授業を受けるような気持ちだった。



毎日、激しい気づきがあった。感動や反省に揺らいだ。

1番の気づきは、自分の持っている思い込み、既成概念、の存在に気づいた事だ。意識してなかったことに。

「素晴らしい作品」とは何かと問いかけた著者は、正解はないと言う。あるのは、「考え方の違い」。著者は、1つの解釈を示した後、

 これらは無限に存在する「物の見方「の1つ

でしかないと言う。

そして「リアルさ」とは何かの問いかけ。

演習として書いたのは、サイコロの絵。遠近法で描くことしか考えつかなかった。見えないところがあるなぁ、と少し思うには思ったが、リアルにと言われてその描き方しかない気がした。

リアルさとは、実際に目がとらえるものなら、見えない、はっきりしないところがある方が普通だ。普通やリアルさというものは、視点による。

著者は、私たちの視覚には、「歪み」が含まれていることを指摘する。先入観を持ってみることで、「現実」の形が歪められると。

言葉で表せるもの=実物、ではないように、絵で書かれているものと実物は違う。言葉だと、意識してわかっているのに、絵を見るときには、落とし穴のように、気づいていないことを実感した。

アート作品の「見方」を語るところで、著者は、鑑賞者の存在や、作品への参加、を指摘する。

アート作品の「見方」は、それを作った「アーティスト本人」が決めると言うのは、確かに真っ当な考えだと思います。
でも、本当にそれだけなのでしょうか。
みなさんの「作品とのやりとり」が、作者とともにアート作品を作り出しているのです。

私は、作品は自分で創ることだと思っていた。思考が要求されることや、それが大きな部分だということは、新鮮だった。創り手でない参加者がいることも。

でも、疑問が残った。アートは感覚的なものではなくなったのか。

その章で著者に投げかけられた質問や、抱いた疑問は、私に、思考すること、し続けることを促していた。そして、そうすることが、すでに、アートなのだとも思えた。

その疑問や考え始めたことに、著者は答えを示してくれる。

おそらく絵のとらえ方は他にも無数にあり、私たちがまだ気がついていないだけなのでしょう。

アートとは、物や作品やできあがったものでなく、その姿勢、取り組み方、探求なのだと。


最後の章の演習では、質問だった。

アートとは? 4つの、全く違っている絵のどれが? 私は、「全部」と答えた。

私の理由。
・どれも、見られることを前提として、人の感情に、呼びかけようと作られたものだから。
・視覚、ひいては感情に訴えるものがあるから。
・人の気持ちを動かせるから。

それが、著者の言うところの、私の「アートの枠組み」だった。前提。決めつけ。

なんでもアート作品になるとは言ってはいるものの、私は、作品と言うのは、他の人が「作品」と認めているものだけ、と思っていた。

前提そのものを否定する、または疑う姿勢を知った。知っていたはずのことだったのに。知っていたのに実は知ってはいなかったことも、大きな気づきになった。

アートは私の生活にもあり、私自身も生み出している。アートは、形状も、何でもある。

それなのに私は、アートは、特別なものだと思っていた。

アート=作品、だった。

名前のあるジャンルに属するものだった。

自分はその一員ではない人たちがすることだった。

創るものだけを指すと思っていた。


気づきは、日ごとに熱を増した。

アート思考の面白さ、有用さ。アート作品自体に興味がわいた。アートの歴史に興味がわいた。スキルだけが大切だとぼんやり思っていたのに、それがなくなった。


この本を読み返してみると、自分が最後に得心したことは、プロローグのページに書かれていた。

あまりに多くの人が「アート=アート作品」だと勘違いしている

と。そして、

アート思考とは「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界を捉え、自分なりの探求をし続けること」だ

と。



読み終えたのは、今年の6月4日。

決めつけに固まり、幼稚な虚栄心を持ち、習慣の名に、自分のいろいろなことを言い訳し、できない事は環境のせいにしていた私。

私の生き方も、することもしないことも、またアートなのだと思った。

その日、 私はふんぎりがつかず迷っていた note を始めた。


冒頭に上げた、第3章 Class3 の演習で、私が書いた「100文字ストーリー」。

「何も見えないと思っていたのに、目が慣れると、遠くに入り口が見えた。閉じ込められたので、もう何もできないとすぐに思ってしまったが、落ち着けば、色々なことが私の想像とは違っていた。これまでもそうだった。だから、見えないことが多かった。そう思いながら、私はあかりのほうに向かって歩き出した。」

書いたのは、読み出して3日目だ。自分ががたどり着きたいところを、言葉にしていた。私は、この本に光を求めていたのだ。そして、自分の後押しをしてくれることを期待していたのだ。


色々なことを教え、考えさせてくれた末永幸歩さんに、恩師のような感情を持つ。この人に教わる生徒さんは、幸せだなと思う。本にしてくれた著者にも、それを後押ししたとある、連れ合いの方や、編集者にも感謝する。読めたことが幸せだった。

人生を変える本が言い過ぎだとしたら、少なくとも、人生を豊かにしてくれた。

私に描ける絵を。言葉で。

アートというものが、私のまわりにも、私の中にもあった。それを大切に、ときにぞんざいに、楽しんでいこうと思う。








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