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【読み物】 おとなの人へのおねがい 森の中に立ちに行く学校

ぼくは森に行きたい。


アメリカ先住民のある部族では、一家を支える大人の男が、ふっと家を出て、しばらく帰ってこないことがあるそうだ。たいてい三週間くらい。
何をしに?
だれもわからない。
出て行く人は、ひとことだけ言って家を出る。
「森の中に立ちに行く」と。
そして、家族は、それ以上のことは聞かない。


ぼくは、森に立ちに行きたい。


毎日の生活は、それはそれで、大事なことがたくさんある。

でも、ふと、自分にとって大事なことを思い出す時。自分にとって大事なことを思う間もないことに気づく時。

ぼくが知っている生活では、気がつかなかったことにする人も少なくない。自分の時間をとりたいけど、そんなことしてるよゆうはない。大人はそういう人の方がずっと多いし、自分のために、わざわざ、今していることをやめて時間をとる人など、いても、困りものか、おちこぼれあつかいだ。


ぼくたち子どもは、仕事を持っていないので、こんな、ここでないどこかに行って、日常からはなれて、自分を見つめ直す、といった時間は、いらないのかもしれない。そんなことを、いしきしたり、考えたりもしないものなのかもしれない。

でも、おとなは、ぼくたちが学校に行って勉強することを、「子どもの仕事」とよぶ。おとなは、ぼくたちが毎日、そこに出かけて、言われることをするようにきたいする。そういうふうに、子どものために、いろいろなことを計画する。

それでいて、子どもは、子どもだから、おとなのようにストレスをためたり、同じことのくり返しにいやけがさしたり、自分の時間がもっとあったらなあとか、思いもしないとでもいうように。


ぼくは、森に立ちたい。森に立ちに行きたい。

学校に行くかわりに。ずっとすわって勉強するかわりに。

子どもが、おとなになるために、おとなになる前に、知っておかなければならないことがあるのは知ってる。子どもは、そういうことは身につけるべきだ。ぼくはなにも、ただ、自由にさせてくれ、一人で勝手にさせてくれ、ほっといてくれと言ってるんじゃない。

そんな、なにか一つ反対したからと言って、全部ひていしているわけじゃない。だったら、今日からは、自分のことは自分でなんでもするのね、パパもママも、何にも手を出さないね、と子供じみたキレ方をするおとなとはちがう。

ぼくたち子どもは、森に立ちたい。だから、おとなに手伝ってほしい、それができるように。だったら、一人でなんでもごかってに、などとつきはなさずに。子どもはおとなの助けがいる。だから、学校とかせいびして、助けてくれようとしてるんでしょ、おとなは。



ぼくは、こんな学校に行きたい。

ぼくたちの学校は、森。

朝、バスが来て、子どもを、森に連れていってくれる。先生の大人ももちろんいる。子どもは、その人たちを、先生と呼ぶのかも。名前で呼ぶのかも。そんなことは大事なことじゃない。そのグループの人の間で決めればいい。

子供は、森で、樹木にすこうしだけきずをつけて、わらのストローをさして、樹液をためる。たまったら、それを飲む。森の中で、見つけられる鳥の名前を調べる。聞ける音がどれだけあるか、目を閉じて、音を拾ってみる。時間によって、変わる雲の形は、風があるときとないときと、くもりの時と晴れの時と、子どもの気持ちのありようとで、どんなふうに変わるのか観察する。

詩を書くのが好きな子は、森の中で詩をつくるかも。歌うのが好きな子は、歌をつくって、または知ってる歌を思い出して歌うかも。踊る子も。鳥を、図鑑のようにスケッチする子も。花をつむ子も。つむのはいやだから、写真にとって集める子も。ポケGOが、そこにまで来ているのかどうか、調べる子も。

でも、森の中なんで、たぶんけいたい電話の電波は届かないし、たぶん、先生役のおとなの人が、けいたい電話は使わないほうがいいな、とは言ってると思う。そして、たぶん、子供のだれもが、けいたい電話を、電話やゲームとしては使う気にはなってないと思う。

おとなの人は、樹液がきちんと集まるように、手伝ってくれる。木の名前を教えてくれる。樹液をきずつけるのがどうして大丈夫なのか教えてくれる。その森と、見つかる鳥の種類の関係について教えてくれる。どうして、ある種の、町中で見かける鳥はいないのか。どうして、森は森なのか。森はどんな役割があるのか。森と人間の関係は。森に住んでいた人間たちは。どうして、人間は、もう森には住んでいないのか。

歴史を、経済を、生物を、地学を、天文を、文学を、哲学を、社会を。子供が知らないことは、たくさんある。だから、おとなは、子どもに教えたい。だから、子どもは習いたい。教えてほしい。習わせてほしい。

もしも、おとなが知らないことがあっても、子どもはかまわない。いっしょに考えてくれたら。いっしょに調べてくれたら。一人のおとなが、なにもかも知ってるなんて、子どものぼくたちにも、無理だってわかってる。ぜんぜんだいじょうぶ。そんなことで、子どもはおとなをばかにしたりはしない。答えを見つけるのを、手伝ってくれたら。いっしょに楽しんでくれたら。

子どもは森に立ちたい。

森にあきたら、海辺に立ちたい。川べりに立ちたい。野原に立ちたい。畑に立ちたい。

子供の知らないことは無数にある。おしえてあげたいと誰かが願うことも、無数にある。子供が習えることも、習いたいかどうかまだ知らないことも。

子どもを森に行かせてほしい。
子どもを森に連れていってほしい。
おとなに。
子どもを、森に立たせてほしい。

ぼくは、森に立ちに行きたい。
森に立ちに行く学校に行きたい。

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