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ヘア・ドネーション

わたしは、大概の、ひとの療養記が読めない。読むには読むが、自分がかなり元気な時に、よっしゃと思わないと行けない。または、読まない。そのままにする。

「写真の一枚!」の軽快な印象が強い、あこはるかさん。ほかにも、いろいろなテーマのもとで記事をあげられている。その中で、わたしには、なかなか読む気にならないシリーズがあった。病気のことだ。

抜けた髪が生えてきたという記事は、写真を見ただけで、無理だと思った。だが、そのシリーズで、腕の浮腫の話題が出ていた。

自分も、ここ1年以上、ずっと腕の浮腫を気にしていた。だから、読みにいった。

シリーズの最初から読んだ。


この言い方でいいのなら、おもしろかった。役にもたった。

そして、思い出した。病気と診断された頃、ひとの療養記を、本でもブログでも、むさぼるように読んでいたことを。

はるかさんの記事が、その頃あったら、わたしは、なめるように読んでいたはずだ。


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自分の病名を知ったばかりの頃、ひとが書いて残してくれる情報に、救われた。気持ちの変遷や体調の記録が、参考になった。

わたしが読んだ本は、たいていトーンが抑え気味で、淡々と書いてあった。ブログも似たような感じで、明るい調子が多かった。

ただ、病気の心理か、わたしの性格かわからないが、明るさに、気が晴れるときもあれば、つい自分を比べてしまい、落ち込んこんだりもした。

そして、見聞きする情報すべてに、反応した。手術はしなくても、とか、再建への迷い、放射線治療は不要では、医者を信じていいのか、食事療法だけで治せるのでは、、、。

乳がんの治療について医者に言われたことを、実家の母に伝えたとき、アメリカでなってよかったな、と言われた。がん先進国だから。

それから、誰かのなにかを聞くたびに迷うわたしに、その医者の判断に従えと、母は言ってくれた。いちいち動揺するなら、読んだり見たりするのはやめろ、とも。


わたしが、ひとの療養記、特に癌の、が読めない理由には、罪悪感もある。

わたしは、髪が抜けなかった。手術の後、ホルモン治療の前に、放射線治療が予定されていた。それを、しなくてよくなったのだ、最後の最後に。

その治療をしても、再発の可能性は、ほとんど変わらないというのが理由だった。

放射線治療を免れるケースは少ない。その一人になった。

脱力するほどホッとした。髪や眉毛が抜けるのは、子どもの世話や仕事のことと同じか、もしかしたら、それ以上に心配していた。

覚悟もしていた。かつらについて、調べまくっていた。ボランティアの人が作った、手編みの帽子を、2つもらっていた。

サポートグループでは、髪が抜けた経験談は毎回出た。まさに、そのただなかの人もいた。抜ける前に自分で切れと、アドバイスされた。


放射線治療をしなくていいと言われたとき、髪は伸びっぱなしになっていた。ニュースで何度も見たことのある、髪の寄付というのを思い出した。そのために伸ばすことにした。2年半伸ばし続けた。

ヘアドネーション。一度だけ。一生、最初で最後と思って。

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3日前に、ももりゅうさんがヘアドネーションのことを書かれていた。その中で紹介されている、あとりえ・あっしゅさんも、娘さんに続いて、された。

感謝。

だれに代わってか。私からか。

ひとのことなのに、気持ちを寄せてくれる人たちに。ひとへの心配を言葉にしたり、形にしたりにしてくれる人たちに。

そして、ももりゅうさん、あとりえ・あっしゅさんはじめ、行動するみなさんに励まされて。わたしも、コロナ下で、切りそびれている髪を、このまま、また伸ばしてみたいと思う。一生で一度のはずが、これで、二度になる。

いろんな勇気を、ありがとう。


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あこはるかさんも、ほかの、闘う人たちも。

わたしは、これからも、ひとの療養記は、こわごわとしかのぞきにいかない気がします。でも、音のない声援を送ります。

ごめんね。あるかないか程度の勇気で。



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