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note コメント考 「言葉の力」 自戒と反省をこめて 6編/ひとりよがりの不満6段階 (3行短文)

1 片思い
心を つくして コメント 書いても
かえって くるのは スキボタ ンのみで
一方 通行 片思 い、つらい

2 不満のめばえ
「コメント 歓迎」「コメント うれしい」
それでも 何度も コメント のこした
私に あなたが くれるの スキだけ

3 ひとりよがり
両思 いでない 関係 しんどい
だったら 私も コメント やめとこ
しんどく なるのは 自分だ けのせい

4 理解
みなさん ほんとに いそがし いものね
すどおり けっこう スキあり うれしい
読んでも らえるの じゅうぶん 満足

5 反省
勝手に おしつけ コメント しといて
見返り 求めちゃ 話が ちがうぜ
向こうの 立場に してみりゃ 迷惑

6 自戒 (=0 初心)
note を はじめて 今月 2ヶ月
初心 を忘れず 感謝を 忘れず
しるしが なくても 読まれて しあわせ

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3行短文 理昭さん 創業者  しめじさん 顧問

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noteを始めて2ヶ月目。私の中に、読んでくれた人からいただく反応に、慢心とも呼べる気持ちが出てきました。コメント欄でいただく言葉の力に、酔いそうになっていた時です。別に、ほめるとかいいことが聞きたいわけではありません。ただ、反応を、コメントという形で、言葉としてくれるということに。はじめの頃は、読んでもらえると言うだけで、本当にうれしかったはずなのに。

そう思いだした次の日に、私は、ある記事に会いました。やらぽん@のほほんメンタリストさんの7月5日付の記事です。偶然、私が読んだ時は、投稿時からは半月以上たっていました。

その記事を読んだ時の、気づきと反省は、その方のコメント欄に私が書いたものをここにそのまま載せます。

やらぽんさん、すっごい共感します。ありがとう。note はじめて、まだ2ヶ月なので、フォロー、フォロワー、のことまでは頭が回ってなかったので、そういう気づきも、なるほどなあと、予備学習できた気がします。両思い。これ。私は、ある時から、コメントをすごく残すようにしてたんです。ある人の言葉で気づいて。みんな、いかにコメント残さないかと。で、結構みなさん、「コメント歓迎」とか、すごくうれしい、みたいな返信をする人も多い。でも、なんべんコメント残しても、自分のには、それこそ一回もしてもらえない。または、わりと心を尽くして書いたコメントに、いっつも「スキ」だけとか。で、実は昨日から、そんなふうに思うんなら、自分もやっぱり、スキマークつけるだけにしようと思ってました。私が片思いみたいなのは、自分にしんどいなら、と。そんな時、この記事にあって、偶然なんだろうけど、今、お告げを聞いているようです。または、神託。ありがとうございました。

そして、この記事がくれた気づきのおかげで、私は、上の3行短文で書いた通り、6段階、つまり初心に戻りました。たぶん、私の今日の3行短文や、この後付けのエッセイを読んで、イヤミなことしやがってと思われる方もいるかもしれません。(そんなこと思うかもと想像すること自体が、イヤラシイ奴ですか?)そう思わせたらすみません。でも、少なくとも今日の私が、自戒=初心、の気持ちでいるのは本当です。

note に夢中になりはじめて、私の肩ひじの張り方は、尋常じゃなかったかも。もうちょっと、気楽に、ゆとり持っていきます。みなさんも、これ読んで緊張せず、できたら、なごやかに素通りしてください。本気、本気。実生活で、私は友人関係でも親戚づきあいでも、家族関係でも、べったりとか依存関係というのが、苦手なんです。なんで、note で、そんなにギブアンドテイク思考になったのか、落ち着いて考えると不思議です。まあ、それが、note の妖しさや魔力ということで。

こうして、落ち着いた状態になって考えてみると、ギブアンドテイクは、私が他の方たちの記事を読ませてもらったことで、じゅうぶん果たされてるんです。例えば、今回のやらぽんさんという人の記事を読んで、新たな気づきを受ける。私は、もう恩恵を受けているわけです。

そして、私が他の方の作品を読んでいたのは、お互いにコメントしようとか思ってではなく、純粋に、読んでいて、自分のためになることがあるのがとても面白かったからです。それは、今もそうです。

そして、自分自身も、面白い、ためになった、と思うものすべてにコメント残しているわけでもありません。

これを書いている頃に(投稿の1週間前から書き始めました。)フォローしあっている方たちの一人から、なんと、自分のコメントが少ないことを詫びるメッセージが届きました。これも、ほんと、自戒を深めます。コメント残すのも、実際は、残すほうの楽しみなわけで、返信があるとか、こっちの記事にも、とか、は別の話です。私自身も、よくスキもコメントもくれる方たちの中には、私にはよくわからない分野のことなので、すどおりする人たちも何人もいます。(その方たち、すみません。気にされていたら。)

こうして冷静になればなるほど、私は何かに、憑かれていたのではないかとさえ、思えます。この記事、せっかく書いたので、載せるには載せますが、皆さん、なかったことにしてください。(それでも載せるのか、オマエ、という声もわかるにはわかります。が、そこは、note 界では許してもられる範囲では。フザケたヤツ?)ほんとに、今日の投稿は、なんのマークもコメントもつかなくて上等でございます。

でも、確かに、書いたから、おさまったのかも。悪霊払いとかする時も、何か呪文とか言葉を唱えますよね。言葉の力、侮らざるべし。

何より、note 、恐るべし。参加してなかったら、考えてもみなかったことを考えさせてもらいました。

そして、これが、やらぽん@のほほんメンタリストさんの、私に気づきと反省を促した記事です。ありがとう、ラクになりました。


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