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信じてるから

高校を卒業したばかりの上の子の友だちで、米国の名だたる大学から、次々と、招待されるかのように、入学許可をもらった子がいる。引っ越してきてすぐに友だちになった子のひとりなので、小5の時から知っている。

彼の成績のよさに気づいたのは、高校中盤になってからだ。天才、というのではない。ガリ勉というふうにも見えない。

彼は、好きなことへの集中力がすばらしく、勉強するのも好きだった。成績のよさも、そこから派生したのだろう。

私は彼に、なにより感心していることがある。

彼が、人と違うことを気にしていないことだ。おそれていないことだ。



ある日、うちに集まっている子どもらから、聞こえてきた会話。ある子は、自動車に夢中になっている。着るものに興味が出て来た子。音楽に目覚め、バンドを組んだ子。その子は、電気回線。

  だから、オマエの「車」が、ボクの「電気回線」なんだよ。

そして、笑い声。明るいツッコミの声。



彼は、電気回線や数式に興味を感じて、夢中になってしまう。夏休みに、朝5時起きで、近くの街にある会社で、高校生ながら、インターンシップで仕事をしに行く。まわりの友達も、学校の誰もがしていなくても。

人には面白くないであろう科目が、楽しく感じる。高校の範囲を超えてしまった学生は、市内にある大学で授業を受けることができるのだが、彼はいくつも授業を受けに行く。

そして、あまりない時間を、それでも、なんとかひねり出して、うちの子や、友人と、だべり、ゲームし、映画を見に行く時間をとる。

家庭環境に、とりたてて特殊なことはない。この子のお父さんも、お母さんも、特に、勉強熱心と言う感じではなかった。おおらかな感じがする、話し好きで、楽しい人たちだ。でも、愛情にあふれた家庭は、ほかの友だちのところも同じようなものだ。



彼の言葉で、ひとつだけ忘れられないことがある。


上の子が中学2年生の時。友達みんなで、初日に絶対見に行くと計画していた映画があった。アメリカンコミックの実写化作品。中2男子たちは、さざめきたっていた。

金曜日の深夜だと、いいよと言う親は少ないだろう。まあ、公開明けの週末に、オンラインのチケットで席を確保してやるくらいは、することになるのかな、と思っていた。

公開が近づくと、映画評が出回りだし、問題作として、かなり話題になった。今思えば、映画会社が、そうやって煽ることでの宣伝だったのだろう。

高校生は、運転できる子も多いし、親も観念していたと思う。でも、日本の中2にあたる男子を持つ、わたしのまわりの親たちは、ひるんだ。初日どころか、映画を見に行く許可は、のきなみ取り下げられだした。

私は、上の子に、行くことを許した。2つの条件と引き換えに。セックスや、この映画のセックス描写について、映画に行く前と行った後に、私にインタビューをさせること。私も一緒に見ること。

もし、同じ条件を飲むなら、私は、友人らも車で連れて行ってやると言った。

でも、結局、映画に行った子は、うちのと、電気回線好きの彼だけだった。ヒーロー物好きのお父さんがいる子の家でも、許可がおりなかった。わたしの判断は、はたしてよかったのか。迷いも湧いた。

私が二人を車で連れて行き、一緒に見た。行きと帰りの車で、私は、友だちの、その子にも、約束通り、性に関する質問をし、感想を話してもらった。

そして、気になっていたことも、たずねた。

他の子がみんな許してもらえなかったのに、どうして君は、映画に行くことを、許してもらえたのか、自分で理由がわかるか、と。

ほんの少しの間のあと、わかるよ、と彼は言う。

そして、なめらかに言い切った。

 うちの親は、僕を信じてるから。

その言葉を思い出すと、今でも、または、今だからか、胸がいっぱいになる。そこまで、彼を信じてやれた彼の親に。親が自分を信じていることを、あたりまえのように、感じられていた彼に。

そして、複雑な気持ちにもなる。もうひとり、まだ高校にいく子をかかえる親として。ブレない子育てをしたいのに、と落ちこむ自分が。そうしてきたと胸を張りたいのに、と情けなくなる自分が。

親業は、修行だなあ。修行だったなあ。


信じているから。


それが、うちの子どもらにも、伝わっていたのだろうか。いるのだろうか。もう子どもとよぶサイズではない彼ら。答えがききたいわけじゃない。それでも、そうであってほしいと、願わずにはいられない。





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