「ドライブ・マイ・カー」 私も理解したかった 感動したかった
「ドライブ・ マイ・カー」
(3行短文詩)
フランス の映画 だったら 違った?
原作 も知らず 監督 無名で
そしたら わたしは 心ふ るわせた?
誰かが つくった 傑作 映画の
創り手 批評家 観客 の熱さ
私が 好きであ ろうがな かろうが
かれらは 何に こ ころ 動 かされた?
わたしも いっしょに 乗りあい たかった
おいてき ぼりには されたく なかった
______
定型3行短文(4音4節3行) 提唱:zep i0814理昭さん 企画:しめじさん
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見ている時から、落ち着かない気持ちになった。話の展開にではない。自分がそれほど感動していないことに。
「ドライブ・マイ・カー」についてよく耳にするようになった時には、映画は絶賛されていた。もう、ここで、色つきメガネになった。見に行く前から私は、好きだと思わなかったらどうしようと思ったりした。
映画は、おもしろいといえばおもしろい。3時間もあるが、長くて退屈だとは感じなかった。観た次の日から、映画がじわじわと広がり、それについて考えてしまうことが多かった。だから、名作なのかもしれない。
すばらしいことは随所にある。私に大きくひびいたことは、映画の中で感じる、間だ。抜け感、とでもいったらいいのだろうか。
音で埋め尽くされていない。説明しない。そのことは、別の記事に書いた。
それでも、私はこの映画に、それほど心動かされなかった。そういう自分を残念に思った。
見ている間も、終わってからも、私は、努力していた。この映画をわかりたいと。できれば、名作だと言いたいと。太鼓判を押したいと。
この監督の、ほかの映画を、ずっと全部見てきていたら、と思った。やっぱり、とか、こうきたか今回はと、納得できたのかもと。
アート映画。と言ってしまえば、そうなのだろう。
これがフランス映画なら、私は気に入っていたのかな、とも思った。
濱口監督が無名だったら。
これが村上春樹原作と知らなかったら。
これが国際映画賞など何も獲っていなかったら。
映画の創り手。大賞賛の映画批評家。名作と盛り上がる観客。その人たちの熱さは伝わる。
映画を賞賛する人たちは、世界に入り込めたのだろう。
私が見えないものは何なんだろう。何に彼らは心動かされたのだろう。
私は理解したかった。
私も感動したかった。
反省もした。私自身の偏見、好み、決めつけや、外からの情報に影響されていることに。
だって、濱口監督の作品だから。海外の映画祭で受賞が続いているし、刺激的な作品をいくつか発表していて、今、旬のような監督さんだ。海外の映画賞にも参加も受賞もし、注目されている。
実際、賞をとっていてもいなくても、これだけの脚本を用意し、人材を集め、映画の画像なり音なりの素材を調達しただけでもすごい。ムラカミ小説の、監督なりの咀嚼と、その具現。料理が口に合わなかったとしても、スタッフや素材などの調達、調理ぶり、には感心する。
そして、国内外での村上春樹の知名度と人気のおかげ。ハルキストは多い。それに、好き嫌いや、読んだかどうかは別に、現存日本人作家で最も有名だ。
その上、この作品は、すでに賞を獲っている。私が観た頃でも、もういくつも。
それでも、米国で見かける映画評は、のきなみ絶賛なのは不思議な気がしていた。もっと意見が割れてもよさそうなのに。
が、そういう高い賞賛は、もしかしたら、私が持った色メガネと、同じ理由なのかもしれないとも思った。
わかろうとする努力のひとつで、原作の短編小説を3つとも読んだ。小説の混ぜ方も生かし方も、原作の雰囲気をうまく出している気がした。ただ、私は春樹ファンではない。
その後、濱口監督が招かれたオンライントークがあり、リアルタイムで観に行った。
監督は米国での高評価にびっくりしていると言ったので、高評価なのはどうしてだと思うか、どうして驚きなのか聞きたかった。でも、私が書き込んだ質問は選ばれなかった。
また、この映画を見た同僚二人と話したりもした。彼女らの映画の感想は、私に似たりよったりだった。おもしろくなくはないけど、おすすめの名作、ではない。
彼女らから出た、アメリカでの高評価の理由は、これが、非欧米圏の作品だから、というものだ。批評家は、ネガティブには言えない、言いたくないから、好意的な評価になるのかも。わからないのでは、と言われたくない。特に、人種への配慮が、年ごとに大きくなっている背景で。
感想を話しあった彼女ら二人とも、村上春樹の小説が大して好きでない。女性の扱いとか、文の短さとか、ありえない会話、とか。一人は、実は、評判だけで、村上作品を読んではいない。彼女らがハルキストなら、この映画への評価は違うのだろう。もう一人は、濱口監督のほかの作品もいくつも見たことがあって、この監督の作品なのだから、すごいはず、と思いたい気持ちも持っていた。
映画を、それが背負っているものと切り離すのは難しい。少なくとも私には。あたりまえ、か。そうかも。全然別の時代に作られた映画を、その時の歴史的背景や状況と切り離して楽しむことはできる。(それを、無知とか言われたりもするんだろうが。)でも、自分が生きる現代となると、舞台となる地域・国、もだが、誰が作った、それも、どの地域・国の、ということが大きいなと思う。
宣伝、商法や評判(それがどういうルートであっても)、どれも。イメージ操作をわざとしていようがいまいが、うるさいものだなと思う。映画のことより、ほかのことが気になる自分を、残念に思う。
反省はするが、感情は別物だ。自分の感じ方が、色々な、映画以外のことに左右されているのがわかっても、私はこの映画の話や人物にははいりこめなかった。
ただ、映画は、話の筋や人物像だけではない。映像美であり、視点であり、音であり、撮り方でもある。そのことを、この間見る機会があった、東欧の前衛映画に、思い出させてもらった。
音。音楽。映像。撮影。
「ドライブ・マイ・カー」は、私には、アート映画だ。
話の筋も人物像も、マイナーな要素の。
でも、
私も理解したかった。
私も感動したかった。
(小声で)濱口監督の次回作は、前評判に耳や目をふさいで観に行きたい。
(もっと小声で)そして、今度の作品には、ハルキの名前がポスターについていませんように。
(普通の声で)今晩たぶん米国アカデミー賞をとるであろう、この作品に。おめでとうございます。
(ヘッダーを含め、画像はすべて、映画の公式サイトより)
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