「3行短文」でひと皮むけた私:3行短文考 第一部 提唱企画者の役割の比喩リスト 第二部 その魅力

(先に注意書きです。この記事、長いです。最初はリストだけのつもりだったんですが。2部構成になっています。あとで、長すぎるじゃねーか、と言うのはご勘弁を。でも、読むと「3行短文」について、よくわかります。😉)

第一部 
3行短文 提唱企画者の役割と、その比喩

3行短文は、理昭さんとしめじさんという二人の方によって、世に出ました。この方法詩を思いつかれた方が、 zep0814 i理昭さんで、その型を使って書いてみようと呼びかけられたのが、しめじさんです。

この方法詩に、私同様ハマられたマツカンさんは、自分の作品のあとづけに「3行短文」と記した続きに、
   理昭さん提唱 
   しめじさん企画
と必ず書かれています。私も見習って、たいていそうするようにしています。

おふたりの立ち位置や功績は、もちろん、これで十分わかるのですが、私は時々、それらの言葉でない別の言い方をしてみたくなります。それで、私に浮かんだ、わかりやすい(かもしれない)ほかのたとえを紹介します。どんな比喩だと腹落ちするかは、人によって違うので、ひとつでも、みなさん自身にしっくりくるものがあるとうれしいです。

3行短文のことを書いていながら、なんなんですが、今回は、その型は使っておりません。あしからず。できませんので。


理昭さんとしめじさん

団体代表と事務局長

教祖と布教者

始祖と伝道師

4番投手とベンチのキャプテン

生みの親と育ての親

大黒柱と内助の功

功労者と縁の下の力持ち

本社取締役と地区部長

オヤジとアニキ

親分と若頭

首領と黒幕

会長と顧問

後継ぎ息子と入り婿

著者と編集者

大旦那と若旦那

旦那と、できた女房

主演と友情出演

花形役者と後援会長

キャプテンとマネージャー

ワントップとボランチ

親方とタニマチ

関取と、部屋付きの床山

総督と司令官

代表選手と協会会長

開発研究室長と宣伝部部長

研究所職員と有志団体代表

企業と融資銀行

大型新人歌手とプロダクション

芭蕉と一茶

教科書と参考書

文春とスクープ記者

雄しべと雌しべ

校長とPTA会長

太陽と地球

作曲家と指揮者

平家物語原案者と琵琶法師


読んでくださってありがとう。うざったかったり、バカにされたような気にさせていたら、すみません。特に、創立者のおふたり。

でも、こんなふざけたことが、どんどん出てきて、その上、発表するということまで臆面もなくできるようになったのは、お二人が世に出した、3行短文に出会ってからです。私は、ひと月前の自分には想像できないくらい、言葉で遊べる力をつけ、人の目を以前ほど気にしない度胸を持つことができました。

特に肝がすわったのは、3行短文で書いた官能ものを投稿してからです。ふだんでさえ、実際に投稿するという段になると、いつもためらうのに、官能詩をアップした時は、さらに自意識過剰になりました。下品さに眉をしかめられるかも、フォロワーのみなさんにあきれられるかも、Noteの運営から注意の連絡がくるかも、あの単語はやっぱり消した方がいいのでは、などと、ずっとオドオドと一人で心配していました。

そして、1日たって全部が杞憂だったとわかった時、自分の度胸のレベルが一つ上がった気がしました。自分でこそしてはいませんが、詩の中でパンツも見せてしまったわけで(脱がせてもいるのですが)、これができるなら、もう何でもできると、ひと皮向けたような気がしました。

小心で自意識過剰なところのある私が、自分でも思ってもなかった、あんな詩を書いたのも、投稿したのも、今でも不思議な気がします。その時にコメントをくれたマツカンさんも、あんなことを私にさせてしまう3行短文はスゴイと書いてくれていました。全く同感です。

せっかくなので、3行短文のその妖しい魅力について、私の思うところを書かせてください。

(お忙しい方は、ここまでで。読んでくれてありがとうございました。または、後で。)

第二部  
3行短文の魅力考

3行短文の魅力は、型があり短い、そして、自由なことです。現代詩と言われるものと比べて、俳句や、特に川柳だと、なんとなく形になるものができそうな気もするし、実際できると思います。3行短文も同じです。その上、3行短文には、俳句にある決まりごとはなく、川柳に期待される、ひねりとかユーモアも、求められてはいません。

実際、師匠らや、マツカンさん、まつおさんら、またその他の詠み人の3行短文作品は、作風も内容も雰囲気も、同じくくりにはできないほど違います。特に、さすがこんな方法詩を思いつき提唱するだけあって、理昭さんは、誰にもまねできない、できるとしたら、まつおさんくらいの、(ごめん、ほかのみなさん、)文芸色の濃いものを次々繰りだします。そして、どの人のも、それ自体おもしろいくらい毎回違う態を見せます。非常に自由です。

たったひとつの決まりごとは、4音4節3行。字余りなどはなしで、きっちり計48文字。この制限は、作るほうを苦しめそうですが、実際は、少なくとも私には、助けになっています。心理的負担を軽くするという。短歌や俳句なども同じですが、制限がなかったら、書きたいことを一番いい形にするために、ある意味、無限のチョイスと向き合います。それが、制限があると、言えないことが出てくるし、言いたいことすべてが収めきれない。

そうしたら、どうするか。しかたがないから、あきらめます。私のせいじゃないんですから。あと1行あれば。ひとつだけでも字余りを許せば。舌足らずな気がしても、それはこの型の縛りなので、しかたがない。

私は、その制限に助けられて、作品完成を簡単に宣言することができています。私は自由詩も書きますが、どこで終わっていいかの判断も自分でしないといけなくて、もしかしたら3行ですむかもしれないことを、言葉をつくして書いているなどを考えると、かえって、自由詩の不自由さを思ったりもします。

もう一つの、妖しい魅力の一つは、この型が新しいものなので、前例がないということです。俳句や短歌では、名作と呼ばれるものがあり、夏井いつき先生がその厳しさで有名ですが、いい悪いの評価基準もあるようです。それは俳句じゃない、川柳だ、などとも言われるかもしれない。3行短文には、少なくとも今のところありません。これがいつかは、しめじ流のとか、マツカンが好んで使った言い回しとか、言われるようになってきたら、敷居は、川柳並みには高くなると思います。

新しいのでいいことのもう一つは、だから、なんでもありで、なんでもオーライ、そして、ほかの作品や人との比較はないことです。それでも、私の場合は、ほかの人の、特に、ただの言葉遊びでない、詩の深みのある作品を見ると、自分の、ラクガキの延長のような作品に、疑問を感じるときもあります。でも、今のところ、何をしても「前人未到」なので、比べるものがなく、誰しにも、まっ、それもアリか、と思ってもらえます。

そして、師匠二人をはじめ、みんなが優しい、優しい。私にとっての妖しい魅力は、もしかしたら、ここに一番大きくあるのかもしれません。おもちゃをもらって、色々な遊び方をくふうしてみるたび、回りの大人が、ほめたり、笑ったり、と、調子づかせてくれる。そんな感じです。おずおずと始めた私には、みなさん、してみた、ということだけで、喜んでくれて。私は、先に新しいことをしている、というだけで、多作にもなれ、師匠の一人のしめじさんから、3行短文界の「狂信者」とか「実行責任者」などと、光栄な呼ばれかたもされています。

おもちゃ、と言いましたが、本当にそうで、私の場合は、3行短文の型まずありきです。この入れ物に入るものを見つける、という感じです。俳人の芭蕉が、旅して句を読んだのも、俳句にできること、自分のおもちゃに入る何かを求めるためにだったんだろうなあと、思ったりしています。そして、この理由で、私は、昔話や短歌の書き換えを思いつき、ホラーや、官能までも、手を出してしまったのです。

創造は、自分の内なるものが、ただ現れてくるだけ、という考え方もありますが、少なくとも私自身に関しては、それは疑問に感じます。3行短文というフレームを手にしていなかったら、私のこうした創作活動も、あったとしても、これほど伸びやかではなかったと思います。それに、私から出てきた様々な表現や取り組みも、このフレームがあってこそで、もともと持っていたものが、自然と現れたのでは、決してありません。

(そして、わかります?この文章の底に流れる、隠れたもう一つの狙い。ポルノまがいの作品を出したことを、自分のせいではないと言い逃れすること。理解もしていただけましたか、そこのところ。)


しめじ師匠、理昭師匠、勝手にお仲間扱いしている他の3行短文実践者の方々、そして、私の3行短文を読んでくれ、ほめ、あおり、甘やかし、調子にのらせてくれたみなさんに感謝します。

3行短文を通して、私は、書くことの楽しさに溺れる経験をしました。書くことに自信をつけました。この文章でわかるように、ムダに饒舌になり、書くことがとまらなくなってきました。

人間としての幅も少し広がった気がします。最初は、冗談でこう書こうと思っていたのですが、本気で思ってることに気がつきました。

ありがとうございました。これからも、いっしょに楽しみたいです。読んでくださるみなさんも含め、3行短文界のみなさんは、身内のような気がするので、あらたまってお礼を言うのは、やや照れます。どうせ、これからも何度も、作品ページでお会いするでしょうし。今日のところは、私が、実の身内である兄と、いつもかわす別れの挨拶で。

「またな。」

最後に。
リストに挙げたたとえですが、私はどれも気に入っています。でも、個人的に特にしっくりくるのは、「首領と黒幕」「親方とタニマチ」「雄しべと雌しべ」です。コメント欄でのおつきあいや、発表されている作品や作風から、私が受けるお二人の印象にも、合っている気がします。

  あきやまやすこ 事務局広報/迷える羊/門下生/外野手/養女/扶養家族/営業一課ハケン/パシリ、、、、
  (うざったいですか。やっぱり。)

(うざったいついでに、これが、私が悪魔に心を売り渡して書いた3行短文です。これで、オンナをあげました。繰り返しになりますが、私の中から自然発生したのではありません。3行短文が。読まれたことのある方は、そっとページを閉じてください。)

ほかの、初期の(2、3週間前程度ですが)、3行短文の型の作品です。


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