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「黒子のバスケ」の涙 泣く男の子たち

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「黒子のバスケ」
  高校バスケットボールが舞台の少年マンガ。アニメや映画化もされた。
  藤巻忠俊・作
  週刊少年ジャンプで、2009年〜2014年連載
  コミックス30巻


ヘッダーは、青峰という高校男子。主人公の、元チームメート。
このイラストの、表情、髪型、顔つき。作者が設定した、彼の性格が、ビシビシ伝わる(はずの)ビジュアル。


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🏀           🏀             🏀


「黒子のバスケ」を見たのは、年末。マンガも全部読んだ。

印象深かったことの一つは、この作品での、涙の使われ方。

もちろん、最近のマンガで、男子の涙というのは、めずらしくないと思う。それでも、わたしは、前向きではあるが違和感を持った。昭和育ちだからだろう。涙に反応している自分が、古い価値観の人間だとも思った。

男の子が泣く。

涙を流す。ひんぱんに。

涙が出るのは、冷や汗が出るとか、笑顔になるとか、照れ臭そうに目をそらすとかのように、感情に伴う、体の反応。だから、涙が出るのは、しかたがない。なにより、自然なことだ。

でも、主要登場人物のひとり、青峰くん級の、俺は男だ、タイプが、涙を流す。それは、新鮮だった。

「奇跡の世代」と称される登場人物の男子らは、みんな、涙で感情を表されていた。彼らは、みな泣く。こころを動かされた時に。そこが、ほんとうにおもしろかった。


昭和のマンガの「青峰」たちは、泣いてなかったような気がする。

泣いても、巨人の星の飛雄馬のように、涙の線としては異常な太さの、滝のような、だから、現実感のない、読者を含む、人間は、流さない涙、として流れた。

矢吹ジョーも涙を流したが、それは、ライバルが死んだり、という、誰もが泣くのが普通と思われているところで。

昭和の、現実の男の子たちは、泣いてなかった気がする。

泣いてたの?

泣くような状況にいなかったからかな、その頃の男子らは。

はなから、選択肢になかったからかな。



今はいいなあ、と思う。

男の子たちも、大変だったよなあ。

女の子が女の子らしくと要求されているとき、おなじように、反対の性でも強い要求があった。

わたしたちの違いってなんだろうね。

はっきりとはわからない。でも、わたしたちの違いも、時代背景に応じて、変わり、そのときどきの理解で認識されている。

性差やジェンダーに関して、ときには、逆行する考えもでてくるのだろうけど、合計でみると、だんだん進歩的になっていってる。極端な、どちらか思考ではなくなっている。


明日は、たぶん、みんなもっと楽になる。



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泣く男の子(なくおとこのこ)」のアナグラム(文字並び替え) 

            女子の孤独(おなごのこどく)
     または
     孤独な男子(こどくなおのこ)


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