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生きてきていちばん悲しかったはなし2

子供を諦めないといけないという事実に打ちのめされました。

まだ、お腹のなかに生命が宿っているかもしれない

なのに、諦めないといけない。

泣いてばかりもいられない、仕事に行かなくちゃいけない

誰にも話せない。


本当にこの頃の記憶はあいまい。

母に伝えた時がかなりきつかったです。

私は泣きじゃくりながらずっと「ごめんなさい。」と言っていました。

母にこんなこと言わせたくなかったけど

母は「あなたの事が一番大事。ちゃんとした体に産んであげられなくて

ごめんなさいね。」・・・それを聞いてまたもや大号泣。


このころから、頭のかたすみに

私はもう子供は望めないかもしない。でも子育てできる環境にいたいな。

仕事でも、なんでもよいから子供に関わりたいと強く思っていました。


主治医の受診日が来ました。

逃げたい気持ちを抑えつつ、主治医にセカンドオピニオンの事を伝えると

「そうですか。きり子さんが決めたのだったら、こちらはそのように対処します。」といい手術の日程がサクサクと決められていきました。

内診をするとまだ心音は確認できていない状態でした。妊娠7週目だったと思います。

手術の日はなんと、義理の弟の結婚式。

それでも私は手術を延期することはしませんでした。

延期すると子供がどんどんお腹の中で大きくなり、心拍が確認後だったら私は精神的に病んでいるか、どこかに雲隠れして野良妊婦になっているところでした。

私は結婚式を欠席しました。旦那には出てもらいましたが、旦那も精神的にきつかったと思います。

自分勝手な決断だとは思いましたが、人の幸せを願うような心持にはとうていなれませんでした。・・・次回に続く

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