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春日部大凧ハーフマラソン初出場


限界への挑戦。

今年で第35回目らしい。
※32.33.34回目はコロナで中止。

気が付けばGW最終日。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
旅行や帰省をした方もいれば、祝日のない6月のためにパワーを蓄えた方もいるかと。


5月と6月の落差の所為で五月病という病気が生まれる原因となってしまったのは言うまでもない。

予定を立てないと行動に移すのが難しいと良く解った今年のGWだった。実家に帰省したはいいがダラダラと漫然な日々を過ごしてしまう。慌ててサマータイムレンダ全話見たけどそれだけでKPIが達成できたとは思えないし。



↑ヒロインがひたすら可愛いアニメ 内容は自分はそこまで…。って感じ。

と振り返ってみればマラソン走ったなと思い、備忘録も兼ねて記事におこした次第である。

表題件に戻る。

マラソン。
聞く人によって多種多様な印象を受けるが、自分が感じるのは圧倒的な「負のイメージ」。
というか走るのもそんなに好きではなかったし、学校行事でマラソンとつくイベントが発生した場合、大会という大義名分が立つ。資本主義の豚である自分が義務教育を虐げられ、逃げることのできないこのイベントが本当に嫌だった。

あれから15年は経っただろうか。
そんな自分がまさかハーフマラソンに出場しているとは夢にも思わなかった。正確には夢には出てきたことはあっても、現実で参加することになるとは思わない。過去の自分はさぞかしビックリしていることだろう。驚かすためだけでも出た価値はある。

とはいうものの、振り返ってみるとランニング自体は19歳ごろから少しづつ家の周りを走ったりしていたわけだから、間も無く10年になるわけで。こう思うと継続って怖いなと思う。全く意識してなかったけど。ここで声を大にして言いたいのは「仕事は3年も続いたことないのにランニングは10年も続いた」ということである。

意志もメンタルも弱いこんな自分でも続けられる。こんなハードルの低いスポーツはない。少なくとも自分は知らない。というかスポーツをそこまでしてこなかったのでよくわからない。(中学のサッカー部は4軍だったので実質部に所属してない)

話が逸れたが、まずハーフマラソンは大体21キロ。フルマラソンが42.195kmっていうのは国民は大体知っているのでその半分。
というかなぜそんな半端なの?っていま書いてて思ったので折角なので調べてみた。

マラソンの語源は紀元前にギリシャ軍兵士がペルシアの大軍との戦いの勝利を報告するために、マラトンから約40km離れたアテナイまで走ったことに由来しています。勝利の報告後、使命を果たした兵士は力尽きてしまい、この兵士を偲んで、兵士が走った約40kmを第1回オリンピックで走ったのがマラソンの始まりだそうです。当時は大会によって距離が違い、「約40km」という曖昧なルールで実施していました。
では42.195kmという中途半端な距離が採用されたのはいつなのか。それは1908年の第4回ロンドン大会です。当初は42kmで設定していたのですが、このときのイギリス王女アレキサンドラが「スタートは城の窓から見えるように宮殿の庭で、ゴールは競技場にあるボックス席の前に設置してほしい」とリクエストした結果、当初予定していた42kmよりも距離が延び、42.195kmになったと言われています。
そして、マラソンの距離を固定することになった第8回パリ大会から正式な競技距離として42.195kmが採用されました。
王女のちょっとしたワガママが、42.195kmという中途半端な距離を生み出し、その距離を今もランナーたちが走っていると思うと、なんだか歴史を感じますね。

https://www.seiko.co.jp/sports_music/sports/sports_timing/trivia/index007_amp.html

SEIKOの公式サイトから引用。

色々調べたけど、基本的にはこの認識で合ってるっぽい。というか殆ど検索結果のブログが引用元が上記の記事だから参考にならん。余談だけどまとめサイトって殆ど引用だから自分でも書けそうって思ってたまに勇気をもらえるから好き。趣味が高じてライターになりたい。過酷そうだからたぶん無理。

そのハーフマラソンに今回初めて出場した。




アーチ


埼玉までわざわざ行った。
当日の気温はかなり高く、「これ本当に走って大丈夫か」という気分が頭の中に巡ったが、そんなことを口には出せなかった。なぜならおそらくみんなそう思ってるからである

結論、なんとか完走することが出来たわけで。そして自分にとってはこれが今まで走った中で最長距離となった。


忘れることはないだろうな

本題。
このnoteで伝えたかったことは、「マラソンお疲れ様」とかそんな承認欲求モンスターみたいな考え方でないことを先に伝えたい。

というかモンスターになるのが怖く、最近インスタのアカウント抹消した。さよなら過去の自分。

https://bocchi.rocks

↑こっちは結構面白かった

今回伝えたかったことは、
マラソンは平等なスポーツ
ということ。もちろん記録という部分で言うと年齢や性別によって若干変動はあるけど、
全く同じコースを、同じスタートラインから始める
ということは、揺るがない事実である。
走り始めたその瞬間から言い訳はできなくなるのである。
正確には言い訳ができなくなるのではなく、言い訳が通用しなくなる。

「暑い」「疲れた」「もう無理」「足が痛い」などなど。思いつく言い訳はたくさんある。但し、それらが意味を全く持たない。少なくとも走り始めてしまったら。

スタートラインに並んでいる時から感じていたことだが、走り始めると更によくわかる。
年齢性別全く違う人たちが同じゴールを目指して走っているということ。
正直、この感動は走った人にしかわからない。
肺がパンパンになって、ふくらはぎが熱を持ち、茹だるような頭の暑さも抱えた上で、リタイアできないなと思った。というかしたくなかった。それくらい走っている時は真剣だったかもしれない。

本当に不思議な感覚だった。
こんなに平等なスポーツだったなんて。

10kmを過ぎたところでペースが落ちる。そう思った時、周りを一緒に走る人たちのペースも少し落ちたような気がした。なんかこの感覚にすごく感動して涙が出そうになった。

「みんなキツいのは一緒なんだ」という共感覚。
マラソンは自分との戦いと、偉そうな大人が言うけれど、悔しいけどその通りだと思う。
ランナーはみんな仲間であり敵ではない。走ってる最中はおんなじように苦しいし、辛い。その感覚を一緒に味わっている。一緒に戦っている。

ゴールして出た順位はあくまで目安だな。少なくとも自分はそう思った。過去の自分のタイムとの戦い。それがマラソンなんだ。

あともう一つ大きく価値観が変わった事柄がある。
沿道の応援」である。
駅伝等でよく見る沿道の応援だがこんなにもパワーをもらえるとは。走ってみて分かった。顔も全く見たことのない人たちからの「頑張れ」「ファイト」「もうすこし」という言葉が確かに脚を前に進めてくれる。その人たちも同じゴールデンウィークを過ごしており、貴重な時間の筈である。その時間を応援に変換して、今こうやって自分の横を通り過ぎていく。これに強く感銘を受けた。
地元でマラソンがあったら応援しにいこうと強く思った。

2019年の写真

最後に。

自分たちが完走し、着替えが終わってバスに乗ろうとした後、コースをまだ走っている人たちがいた。
その姿を見て涙が出そうになった。
「見るからに足を引き摺っている人」「高齢のお爺ちゃん、おばあちゃん」「苦しそうに走る人」など。
この人たちが目指しているゴールは自分たちと全く同じだったんだなと思うと涙が溢れ、気がついたら声を出して自分も応援していた。

そうだ。
恐ろしいくらい平等なスポーツだったのだ
マラソンは。

ゴールデンウィークも今日で終わり。

明日からは何事もなかったように日常に戻るのだけれど、あの日見た景色と、そのとき感じた気持ちは忘れたくないし、来年もまた参加したいなと強く思った。

ここまでご拝読ありがとうございました。

みなさん、明日から仕事が始まりますが、今週も頑張りましょう。ひとりじゃない。

2023/05/07


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