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あなたの物語が、あなたの背中を押してくれる

母校の大学生/大学院生に向けて、キャリア観について話す機会をいただきました。その場では伝えきれなかったことも含めて、こちらにまとめておきます。当日参加してくれた学生さんにも、あらためて真意が伝わるといいなと思っています。

前回は、プランド・ハップンスタンスの考え方を紹介しながら、「はじめから絵を描ききる必要はないけど、一方で、なにかしらの絵筆は手に持たなくてはいけない。」という、キャリアに対する向き合い方について書きました。

今回は、「どんな絵筆を持てばいいのか?」という問いについて考えてみようと思います。

「博士課程の学生を受け入れてくれる企業は増えているのか?減っているのか?」

学生さんから事前に質問を募集したところ、こんな質問をもらいました。博士課程出身の私も、就職を考え始めたとき、まったく同じ疑問というか、不安を感じていたので、こう質問したくなる気持ちにはとても共感します。

あらためて数字を調べてみると、博士課程修了者がその後に就職した割合が出てきました。学生さんの質問は「受け入れ先の増減」を気にしていると思うので、この数字が直接の答えになっていないことは承知のうえで見てみると、私が新卒で就職した平成20年度が63%、最新の平成31年度が69%でした。

博士課程修了者の主な進路状況博士課程修了者の主な進路状況
令和元年度学校基本調査(確定値)の公表について』より

でした。

そう、「でした」までなのです、数字が言っているのは。そこで、問いを変えてみる。




この数字を見て、「あなた」は何を感じますか?




「博士課程を修了して就職している人は増えているんだな(なら、安心だ)」かもしれないし、「博士課程を修了して就職している人は、7割に満たないのか(こりゃ、心配だ)」かもしれない。

統計と物語

統計としての、「みんなの意見」「世の中の流れ」は、たしかに「ある」。でも、「ある」ことと、それが「自分にとって何なのか」は別だ

人事をやっている人なら、現場の社員や採用中の学生から「◯◯って聞いたんですけど、本当ですか?」という聞き方をされることも多いのではないだろうか。これも統計と同じく、噂というかたちでの「みんなの意見」だ。

私はいつも、「本当かどうか私にはわからないけど、仮に本当だとすると、あなたはどう感じる?」と聞き返します。というか、そう聞き返すしか私にできることはないのです。なぜなら、「自分にとって何なのか」は、本人のなかにしかないのだから。

「自分にとって何なのか」を問うことは、自分で自分の物語を紡ぐことを意味します。

正しい物語

前回、私のキャリアについて触れました。

博士課程まで進んで人工知能の研究をしたかと思うと、普通の就活をして新卒ではITコンサルタントとしてシステム開発や顧客折衝をして、今はHRとして人材育成に携わっている。
絵は描けなくても、絵筆は手に取る

これは「情報」であり、「統計」と同種のものです。「自分にとって何なのか」という問いには答えていません

一方、「自分にとって何なのか」という問いに答えているのが、以下の部分。

これを「華麗なる転身」と見るか、「糸の切れた凧」と見るかは、見る人によると思うけど、少なくとも私自身はまったく予想していなかった来し方になっています。
絵は描けなくても、絵筆は手に取る

「華麗なる転身」も、「糸の切れた凧」も、どちらも正解。というか、物語という意味においては、「正解かどうか」という問いそのものが意味をなさない。だって、本人にとっては「そういうもの」なのだから。そこに、神の視点を前提している「正解」という語が、入り込む余地はないのです。

正しさを脱ぎ捨てる。統計を超える。

「みんなの意見」も「世の中の流れ」も、もちろん「あなたにとっての私」も、あなたの人生に責任はとってくれないのです。

「自分の物語は、自分で紡ぐしかない」とも言えますが、私はこの言い方に少なからぬ脅迫性を感じて好きになれないので、「自分で紡いだ物語ならば、それが自分の物語」という、若干トートロジーな言い方をよく使います。

「統計が◯◯だから、△△できる/できない」という視点をひっくり返して、「自分の物語が◯◯であるなか、統計が△△なので、私は□□をする」といった視点でもってキャリアを見つめることができると良いのでは、ということを学生さんには伝えたいです。

最後の「私は□□する」というところが、前回の「絵筆を手に取る」ことにつながります。世界を切り開くのは、情報ではなく、行動です。




次回は、物語を紡ぐためには、統計を見る前に自分を見ようということを書きたいと思います。


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