学び方を学ぶ
コンサルタントの仕事を例に、何かを身につけるためには「他者」が必要という話を書きました。
ここではロジック・ツリーが例として挙げられていますが、それに限らず、人がなにかを身につけるというプロセスにおいては、「自分でやってみる」「やった結果に対して、(すでにそれができる人としての)他者がフィードバックする」「フィードバックを受けて、自分でやってみる」という、自己と他者の間での、無限のキャッチボールが必要です。
『コンサル一年目が受けるすごい研修| 『コンサル一年目が学ぶこと』』より
何かを身につけるためには「他者」が必要、というのは、上司(≒他者)の側にとって忘れがち(「それくらい自分でできるようになってよ」)なのはもちろんのこと、身につける側である部下にとっても直感しにくいことなのかもしれません。
それを感じる、こんな場面があります。
私が社内でロジカル・シンキングについての研修をするときには、必ず市販の書籍を底本として使います。研修のあとに、自分で学習してほしいからです。
研修を通して、その底本に沿いながら説明し、「この底本に載ってる練習問題を自分でやってみてください」と繰り返し言ったとしても、研修のあとには決まってこう聞かれます。
「他に参考になる本はありますか?」
気持ちはわかるのですが、私の正直な気持ちとしては、「どの本に書いていることも、本質はどれも変わらない」「だったら、今回の底本の練習問題をしっかりやってほしい」「だって、アウトプットしないことには身につかないから」です。そのモヤモヤを前向きな言葉に変換して、こう返します。
「今回の底本の練習問題を自分で解いて、私のところに見せに来て」
私がこう言うと、「期待してた答えじゃなかった」「だったらいいです」という、無言の尻込みの空気が流れます。実際、練習問題を解いて持ってくる人はほぼいません。身につける側も、《何か特別な方法論》《何かすごい裏ワザテクニック》が開陳された虎の巻がどこかに隠されていて、それさえ手に入れれば身につけることができると、無意識の夢想をしているのではないか、と感じる瞬間です。
こういったやり取りを通じて、人材育成担当者として感じるのは、〈学び方を学ぶ〉ことの大切さです。
《何かを身につけるためには「他者」が必要》というのは、〈他者〉(≒上司)に対して関与を促す(ほったらかしではいけない)メッセージです。と同時に、《自分でやってみる》《フィードバックを受けて、自分でやってみる》とあるように、自己(≒部下)の関与(というか、没頭)が必要なのは明らかなはずです。だって、最初に〈自己〉がいなければ、それとの相対的関係によって定義されるところの〈他者〉が存在するわけがない。でも、案外、「明らか」ではないということなのかもしれません。
人材育成担当者として、〈学ぶ〉仕組みをつくるのと同時に、〈学び方を学ぶ〉仕組みをつくっていきたいなと思っています。
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