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育成につきまとう操作主義の影

育成というとついつい、相手のなにかを「なおす」という、矯正や操作のニュアンスが見え隠れしてしまう。
「育成でなんとかならないか」「どう育成するか」といった言葉たち。

そして、リーダーが、一人ひとりのメンバーの可能性を信じるならば、リーダーは、一人ひとりのメンバーに対する敬意を、決して失ってはならない。

いま、世の中には、『相手を思い通りに動かす』『相手を意のままに操る』といった書名の本が溢れ、「操作主義」の心理的テクニックを語る本が目につくが、支援型リーダーが求められる21世紀の高度知識社会においては、そうした「操作主義」は、必ず壁に突き当たる。

たしかに、リーダーが、「操作主義」に染まり、「操作主義」の心理的テクニックを使うならば、短期的には、リーダーの願うように部下やメンバーが動くかもしれない。

しかし、早晩、必ず、その部下やメンバーは、リーダーが部下やメンバーに対する敬意を持っていないことを感じ取り、そのリーダーの心の中の「操作主義」に気がつき、彼らの心は、そのリーダーから離れていってしまう

我々は、その怖さを知るべきであろう。

それゆえ、もし、我々が、これからの時代に求められる支援型リーダーシップを身につけたいのであれば、まず何よりも、目の前の部下やメンバーに対して、「人間としての敬意」をもって接するという姿勢を、決して失ってはならないだろう。

部下を動かそうとする「操作主義」のリーダーは、必ず壁に突き当たる』より

「リーダーシップは育成できるか」みたいな話しをしていたときに、「いや、絶対にできない。リーダーシップは現場でしか身につかない」と言う人がいた。
この言葉からは、「現場(≒実務)」と「育成(≒研修)」が完全に別の場所にあるというイメージが浮かぶ。

「育成」は、「実務を離れた場所」で「育成する側の目的に沿う」ように「本人を矯正したり操作する」ものではない

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