「オンライン研修も2年目になって安定してきたな」と思ったときに、思い出したいこと
私は自社で、新人研修の全体デザインに携わるのと同時に、その中で実施するロジカル・シンキング / プレゼンテーション / ドキュメンテーションの研修企画/講師も担当しています。
2020年4月にそれら研修コンテンツを突貫でオンライン化しました。
当社は4、7、10月と入社タイミングが3回あるため、それにあわせて新人研修も年3回行っています。4月にはてんやわんやだった私の研修も、7月、10月と繰り返すことで、かなり安定して実施できるようになりました。
そして迎えた2021年4月。2020年の3回の試行錯誤と、そこでできた貯金を活かして、さらなる安定/安心のうちに実施できています。
そんな今だからこそ、2019年5月のこの記事をあらためて読み返す。
研修という営みは本来、「誰に」「何を」「どのように」教えるのかというふうに定式化されそうなものです。
それも一理なのですが、実際のところは記事にあるように、〈誰が〉教えるのかという要素が横たわっています。教える側からにじみ出る、《勢い/パッション/ノリ/思い》という無形の構成要素が、教育効果に対して間違いなく(正負両面の)影響を与えます。
《2020年の3回の試行錯誤と、そこでできた貯金を活かして、さらなる安定/安心のうちに》オンライン研修を実施している〈私〉は、教育効果に対して正の影響を与えているのか?と自問自答すると、いろいろ考えさせられるところがあります。
学習を駆動させる力学というのは、「受講者とコンテンツ」という人間-非人間インタフェース(どんなコンテンツを作るべきか?)のなかだけに存在するのではなくて、「受講者と講師」という人間-人間インタフェース(どんな関わりを持つべきか?)のなかにも存在します。(なお、人間-人間インタフェースには「受講者どうし」というものも含まれます。その場合は、「どんな関わりを持たせるべきか?」を考える必要が出てきます)
人は無から学ぶのではないし、自分だけで学ぶわけでもない。
人は人から、そして人々の中で学ぶ。
人間-非人間インタフェースを適切にデザインするのはもちろんのこと(それだけでも十分難しい!)、人間-人間インタフェースにも注意を向ける。そのときの一論点として、《洗練》と《野生》のトレードオフという《アポリア》にもちゃんと向き合っていこうと、あらためて思いました。
人間-非人間インタフェースと人間-人間インタフェースの両方を踏まえて研修デザインするための試論はこちら。