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上司の勘違いを防ぐことで、パワハラを防ぐ
ハラスメントの予防というのは、人事が向き合うべき課題のひとつなのですが、そのなかのパワハラについて最近感じたことを書いてみようと思います。
「いや、お前が言うなよ」
これは、僕が海外生活において脳内で発したランキング、堂々1位のセリフです。自分の実力、過去の言動、現在置かれた立場、すべてを棚に上げて平気な顔で意見を言ってくる西洋や南米、アフリカの人たちに対しての第一感であり、「いやいやいや、お前が言うなよ」が第2位であることを考えても、その突出具合は際立っています。
(中略)
僕は選手として4カ国、7クラブでプレーしましたが、個人的に「下手だな」と思う選手はたくさんいました。そして、そういった「(僕からしたら)下手な選手」に僕は何度も言い負かされ、対等以上に要求され、時にはヘイコラしながらプレーしました。
彼らは、自分がスタメンである、とか、技術的に劣っている、といった自己/周囲の評価を、自分が意見を述べる権利の有無と混同しません。サッカーには、プレーを通して、自分の主張で周囲を説得しないといけない場面がありますが、この序列と権利の混同を抱えたままだと、こうした場面で「言われたことしかやらない」選手になってしまいます。「自分の主張(プレー)を述べる権利」を、周囲から「許されるもの・与えられるもの」として捉えているからです。
引用中で示されているように、この場面は、海外でプレーした経験のある日本人の元サッカー選手による述懐です。
私はこれを読んだときに、「パワハラ」という言葉が頭をよぎりました。なぜなら、《序列と権利の混同》というのがまさに、パワハラの萌芽だからです。
パワハラを始めとするハラスメントについての言説や対策というのはどうしても、〈NGワードのリストアップ〉と〈グレーゾーンにおける線引き〉に終始しがちです。「これはパワハラですか?」「NGワードといっても、こういう状況ならありえるんじゃないですか?」といったように。
でも、パワハラを始めとしたハラスメントの〈精神〉って、そういうことじゃないですよね?というもどかしさをずっと感じていました。ただ、だからといって、その自分が掲げている〈精神〉とやらを、実践(研修をはじめとした、社員へのアプローチ)に落とし込めていないもどかしさも同時に感じていました。
「これはハラスメントです」「ハラスメントをしてはいけません」。こういう紋切り型の「ハラスメント対策」とは違う、ハラスメントの〈精神〉を現場に浸透させるうえで、《序列と権利の混同》というのは、仕事の場面になじみやすい切り口だと思ったのです。
仕事の場面というのは、「できる人・できない人」という言い方を通して、とかく《序列》が生まれがちです。誤解があるといけないのですが、《序列》そのものがいけないわけではありません。仕事においては、指揮命令系統であったり評価ラインといったように、仕組みとしての《序列》は存在します。しかし、《序列》は《権利》ではありません。単なる〈役割〉です。「上司は部下より偉い」のではなく、「上司は上司という役割を果たす。部下は部下という役割を果たす」に過ぎません。
パワハラ対策として、パワハラの加害者になりうる上司側に対して、「これはハラスメントです」「ハラスメントをしてはいけません」というメッセージを〈外から伝える〉こと自体は、最低限の対策として必要だと思います。
でも、この対策の不十分なところは、本人に対して「もしかしたら私だって加害者になってしまうかも。なぜなら、そうなりうる素地は私を含めた誰にだってあるから」という、自身の潜在的な加害可能性を〈内から感じる〉機会がないところです。
《序列と権利の混同》というのは、とかく《序列》が生まれがちな仕事の場面において、上司が自身の潜在的な加害可能性を〈内から感じる〉ための良い問いかけになるのではと感じました。
部下の仕事ができる・できないによって、接し方が変わっていませんか?
その部下がどんな《序列》にあろうとも、その部下が有する《権利》は他の人と変わらないはずです。あなたは、部下の《序列》によって、その部下の《権利》を制約していませんか?と。
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