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②SNSのフォローをはずされてクヨクヨ

こんにちは!今日は、SNSのお話から。
Facebook、Twitter、Instagram、ちょっと前だとmixiとかSNSの時代もながくなってきましたね。mixiのあしあと機能とか感慨深い…
SNSって使い方で精神の負の影響があります。

四コマの、ユウコも負の影響をうけてます。笑

今回僕が気になったのが4コマ目の「わたしのこの投稿よくなかったかも…」というセリフ。
何か上手くいかないことがあった時、つぎのどちらかに分かれることが多いです。
私のやり方がよくなかったなぁと思う人
あの人の伝え方がよくなかったと思う人

ちなみに僕は、なんやねんって相手に思いつつ(②)、時間とともに自分にもやれることあったなって(①)感じ方が変わっていくハイブリッド型です。

日本人の美徳っぽい価値観をさぐってみる

“自分の責任を認めて心を入れ替える”
日本人の美徳っぽくて素敵じゃないですか。でも、言いたくなる気持ちをぐっとこらえましてですね。
でも、ほんとですかね?ちょっと美徳に反するお話しませんか…?

こんな話はどうでしょう

 ある日、私は不機嫌な態度でAさん(部下)に接してしまい、仕事の中でトラブルをおこしてしまいました。実は私、その日の朝にと喧嘩をして不機嫌になっていました。
 というのも、が約束していたゴミ出し寝坊したんです。ところが、よくよく妻の話を聞くと、ストレスで眠れなかったそう。原因は職場の上司Bさんによる高圧的な態度のよう。
 とはいうものの、上司Bさんにも背景が…最近、妻に無視されるなど家庭がうまくいっていなかった。それに影響され、無意識に高圧的な態度をとってしまっていたのです。
 その上司Cさんの妻はなんと、Aさんでした。

Bさんに不機嫌に接してしまったのは…
私に責任がありそう⇒妻に責任がありそう⇒上司Aさんに責任がありそう⇒その妻Bさんに責任がありそう
一回りして、Bさんが被害を受けたのはBさんになってしまいました。

結局だれのせいともいえない…

だれのせいかを探るなんてこれくらい意味のないことです。

実は“私のせい”も“あなたのせい”も、責任探しという観点で同じ部類なのです。これをアグレッションといいます。
その価値観と逆は“誰のせいでもない”です。こちらはノンアグレッション。

誰のせいでもないという前提

誰のせいでもないと考えると、原因をさぐる精神的なコストが圧倒的に下がります。
本来、あちこちにあるはずの原因。ところが誰か一人のせいと考えると、そりゃ、私でも、責めたくなるような気持ちが沸き上がってしまいます。誰かを叱りたくなるのは責任を考えるから起きる気持ちです。不倫をたたくのは、親としての責任とか、妻としての責任とか、芸能人の責任とかそういうものを勝手に作り上げているからでしょう。

物事は、誰のせいでもない、そのうえで原因や“つながり”を考えてみると、自分が楽になる。

気にしすぎな人クラブへようこそ

これとは違う視点も、本書では得られるようになっています。まだ見てないぞ、という方は、ぜひお取り寄せください。すでに手元にある方は、視点が増えたので、違うことに気づくかもしれませんよ。



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