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フィードバックするのは怖い

フィードバックが怖い。

昨日の部長会で出された議題。

フィードバックされるではなく、フィードバックするのが怖い


『先ほどの言葉遣いは感情的で、不快さ与えています』これ、言えますか?
多くの人が怖いはずです。

もっというと、前に進むために伝える必要があるけど、これを言ったら目の前の人が『悲しい』『怒る』『凹む』みたいな傷つきを引き起こすのが怖いということ。

自分の言動で誰かが苦痛を起こすかもしれないっていうのは配慮だ。すごく配慮している。配慮は大切だ。

①その人の幸せを願うのが本当の配慮

ところで、目の前の人が、組織にとって良くない行動をとっていた時、それを言わないことは配慮だろうか。それを伝えないことで、その人は幸せになるだろうか。

そういうことを誰にもフィードバックされずに生きていくこの人の人生は幸せにつながっているだろうか。そういう前提にたつと、目の前の人の短期的な苦痛を避けることが相手の幸せを願っていると思えなくなってくる。

相手の幸せを願わずに、自分の短期的な安楽を選択するのは、僕にとってはとってもダサい。

こう考えたときに僕が伝えてきたことは
『相手が傷つくかもしれない』と感じてるときは、確実に自分が傷つけようとしている。少なくとも自分の人生の中でおきた『傷つく』現象を再現しているからそう感じている。

こう考えてみる。で
・相手の言い分が、自分のフィードバックとおなじだけの力で抵抗できたとき傷つくだろうか。
・相手に受け取らない権利を認識させるフィードバックでも傷つくだろうか。
・自分より立場が上の人にもフィードバックするのに抵抗はないだろうか

こうした問いをこたえようとした時、自分がフィードバックにもっている偏見や載せている権威性がはっきりしてくる。

そしてもう一つ。

②目的を明確にしていること

『あなたの目指すところ』に向かうために、僕からみて思うところがあるけど、伝えてもいいですか?

この約束が大事。これが相手と自分をフェアにあつかうスタートだから。いつもNoといえる関係性をつくれるようにする。

Noといえる=Noと発言した責任をその人がとるだけ。
そうこころえて、Noを恐れずにフェアでい続けること。

③他者に期待しないこと

『そんなこと言われても、私は知らないです』
この反応が超絶嫌な場合は、「相手は私の話を受け入れてくれる」期待が強すぎるんだと思う。相手に自分の期待を投影している。

耳の痛い話するんだから、拒否モードで当たり前なんです。拒否してもいいんです。その責任をとるのは僕じゃなくて相手なのだから。

④ポジティブフィードバックとのバランスをとること

「おとうさん、またトイレの電気つけっぱなし」
娘にいわれますが、30日のうち28日はちゃんと消している。ひとはできないことばかりにフォーカスをあてるから、成長しない。
「28日消せてるんだから、もう一日頑張ってみない?」
こういわれたら頑張るのである。

ポジティブな側面に目を向ける努力をしてほしいのである。


まとめ

①その人の幸せを願うのが本当の配慮
②目的を明確にしていること
③他者に期待しないこと
④ポジティブフィードバックとのバランスをとること

と、まぁ、このくらい手放ししてみると、フィードバックの恐怖はいつか消えてなくなる。

フィードバックを仕事としているすべての方の日々の悩みへの敬意と、成長への祈願をここに残します。

それでも、自分がでてきてしまって、自分にこだわってしまう方にはこちらがおススメ。


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