「丁寧に見える」をめざすと上手くいく
「雑に見える」
先日、NHKのあさイチに熊川哲也さんが出演したときにちょうど番組をみていた。熊川さんは自身の劇団をもっているらしい。さすが世界をまたにかけるダンサー。
その稽古の指導シーンのなかの一言
「雑に見える」
この言葉をきいて、はっとした。
「雑だ」
ではなく
「雑に見える」だった。
雑に見えるってことは、それが本人の中で雑かどうかは関係ないってこととですね。ここめちゃくちゃ重要だとおもってる。
もし、「雑だ」を中心に物事をとらえると、どんなにパフォーマンスが雑にみえても「私は丁寧にやってます」がなりたってしまうから。
逆に自分が指摘される側だったとき、自分がどんなに丁寧なつもりでいても、雑に見えればそれは世の中では「雑」な存在でしかないということ。
良い仕事とは何かというとこの「丁寧にみえる」を実践できていることと考えています。
私は丁寧にやってるのに、がんばってるのにどうして認められないんだろう?
その答えがこの表そのものです。だとすれば、やはり他人の声やフィードバックに頼るのは正攻法。人生の成功の裏技的なスキルのようにも思います。
私はどうみえますか?
フィードバックを他者にもらったことがあるでしょうか?
ドキドキしますね。自分が演じてきた自分を、他者がどうみているか答え合わせのようなもんです。
僕自身のことを思い返してみれば、ドキドキするよなぁって思います。きっと誰にどう思われるかを気にしすぎていたのでしょう。
今は、私の思う私と、相手の思う私を一致させることこそ、仕事のしやすさ、生きやすさにつながると心から思っています。ですので、このようにフィードバックをもらうことは楽しいことに変わってしまいましたけれど。
それこそ、他人からどう思われるかを大切にするということです。
声高らかに私ってこういう人です!っていうのもいいけど、あなたってこういう人だよね!に同じくらい耳を傾けたいものです。自戒をこめて。
それが、いつか
私たちの仕事は○○の価値を提供することです。
あそこの会社の仕事は○○の価値を提供してくれるよね。
につながります。
興味がある方はぜひ!
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